柘植清広
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柘植 清広(つげ きよひろ、天文9年(1540年) - 寛永6年8月22日(1629年10月8日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての旗本。柘植氏当主。通称は三之丞。法名は宗伯。父は柘植宗家、兄は柘植宗能。養子に柘植宗次。
鉄砲に秀で、威風流砲術を開く。天正伊賀の乱に際し、徳川家康に接近する。本能寺の変発生時、堺にいた家康が伊賀越えを決行すると、信楽と伊勢国白子間を一族で警護した。
関ヶ原の戦いで活躍して甲賀郡300石を賜り、慶長8年(1603年)には伏見城の城番を務める。慶長19年(1614年)の大坂の陣では、松平正綱の仰せにより鉄砲隊を率いた。後に幕府旗本となる。元和8年(1622年)に致仕し、寛永6年(1629年)に90歳で死去した。