出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
染谷 知信(そめや とものぶ、生没年不詳)は、江戸時代後期の装剣金工家[1]。同じく金工家の染谷昌信の子[2]。通称は吉五郎[1][2]。父は伊勢国の津出身で、後に江戸に出たという[2]。
江戸に住む[1][2]。文化から文政頃に掛けて活躍[1][2]。谷文晁に絵を学ぶ。文人画の画風をとりいれた彫法で、山水図を能くした[1][2]。代表作に「楼閣山水図鐔」、「狗児図鐔」など[1][2]。子の常吉は夭折したが、門下に一信や正信などがいる[2]。