柏賢妃
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柏賢妃(はくけんひ、? - 1527年)は、明の成化帝の妃嬪。
経歴
[編集]正四品指揮僉事の柏珍の娘として生まれた。天順8年(1464年)、英宗に選抜されて、太子朱見深(のちの成化帝)の準側室となった。
成化2年(1466年)、賢妃となった。父の柏珍は正三品錦衣衛指揮使に進封された。成化帝は万皇貴妃を寵愛したが、長男(万皇貴妃の子)が夭折した。成化4年(1468年)、柏賢妃は次男の朱佑極を産んだ。成化6年(1470年)、朱佑極は皇太子となったが、同年夭折した。万皇貴妃が毒殺したという。
嘉靖6年(1527年)、薨去した。享年は不明だが、80歳以上と考えられている。「端順」の諡号を贈られ、金山に葬られた。
伝記資料
[編集]- 『明憲宗実録』
- 『明世宗実録』