柏原兵太郎
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柏原 兵太郎(かしわばら ひょうたろう、1896年3月18日 - 1952年12月8日)は、日本の鉄道官僚。
経歴
[編集]富山県出身。農業・柏原大次郎の長男として生れる。高等小学校中退、専検合格、第四高等学校を経て、1924年4月、東京帝国大学法学部を卒業した。
1923年12月、高等文官試験行政科試験に合格。翌年3月、鉄道省に入り、成東駅長、名古屋鉄道局運輸課貨物掛長などを経て、1933年9月から1935年7月まで在外研究員として欧米各国に出張した。大阪鉄道局運輸部貨物課長、鉄道省陸運監理官、鉄道調査部書記官、関東軍司令部事務嘱託(奉天在勤)、鉄道省運輸局配車課長、企画院第2部長、鉄道監、運輸通信省自動車局長などを歴任し、1944年9月、依願免官。
以後、大日本産業報国会理事長(1944年9月 - 1945年9月)、鉄道総局嘱託(1944年12月 - 1948年3月)を勤めた。公職追放となったが、1951年8月に解除された。
家族親族
[編集]著書
[編集]- 『時局と貨物輸送』鉄道時報局、1940年。
- 『統制経済下の貨物運送』交通研究所、1940年。
- 『生産決戦への活路』柏葉書院、1944年。