林浩正
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林 浩正(はやし ひろまさ、1900年(明治33年)2月1日[1] - 1979年(昭和54年)[2])は、日本の実業家、政治家。長野県岡谷市長。
来歴
[編集]長野県諏訪郡平野村[2](現岡谷市[2])で、丸千鉄工所経営・林乙次郎、たけ の長男として生まれた[1]。平野農蚕学校(現長野県岡谷工業高等学校)を卒業[1]。家業の鉄工場を承継し、戦時中の軍事産業の拡大に伴い社業も盛んとなった[2]。戦後の再建整備計画に基づき、1950年(昭和25年)岡谷造機を設立して社長に就任し、船舶やガス用のバルブやコックの製作に当たった[2]。また、岡谷市消防団長、同消防長を務め[1]、1951年(昭和26年)4月、長野県議会議員に選出され[1][2]3期在任[3]。1960年(昭和35年)長野県人事委員会委員長に就任し1962年(昭和37年)まで務めた[1]。
1963年(昭和38年)9月、岡谷市長に当選し、1975年(昭和50年)9月まで3期務めた[2][3]。在任中は市清掃工場、岡谷美術考古館の建設、諏訪湖流域下水道工事の着工、岡谷市民憲章の制定、中央本線塩嶺トンネル建設の期成などに尽力した[3]。また長野県鋳物工業組合常任理事、長野県機械器具工業協同組合理事長、全国失業対策事業関係都市協議会長、岡谷観光社長などを歴任した[2]。