林昌樹
2008年6月27日(阪神甲子園球場) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県磐田市 |
生年月日 | 1979年11月28日(44歳) |
身長 体重 |
183 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1997年 ドラフト3位 |
初出場 | 2001年5月15日 |
最終出場 | 2011年8月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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林 昌樹(はやし まさき、1979年11月28日 - )は、静岡県磐田市出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学生時代、地元磐田市の中泉クラブに所属。
興誠高等学校では、3年夏の県大会で骨折しながら勝ち進むも、決勝で浜松工業高等学校に敗れ準優勝。
その後、1997年のドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け、入団。
プロ入り後
[編集]2001年に一軍で初登板を果たした。
2006年は自己最多の61試合に登板し、開幕から10試合以上防御率0点台を保つなど、前半戦はリリーフエースとして重要な役目を果たした。しかし後半戦は疲労からか登板のたびに失点することが多く、防御率は急落。特に大事な場面での被本塁打が目立った。
2007年は中継ぎとしてリードしている試合に多く登板するも、終盤は前シーズン同様に度重なる連投から精彩を欠き、打ち込まれることが目立った。
2008年は5月30日に登録抹消となり、二軍で調整していた7月に肋骨骨折による戦線離脱となる。そのままシーズンを終え、17試合の登板に留まった。
2009年はオープン戦で結果を残し、開幕から1軍に帯同。中継ぎの一角として前年の17試合を大幅に上回る46試合に登板したが、やや安定感を欠き、防御率は4.28、ホールドも一昨年の3分の1ほどの5に終わった。
2010年はシーズン通して安定感を発揮できず、昨年の半数ほどの26試合の登板に留まった。
2011年は、二軍で42試合に登板し防御率3.31を記録するも、一軍では2試合の登板に終わった。10月13日、球団より戦力外通告を受け、12月2日に自由契約公示された。現役続行を希望しトライアウトを受けたものの、獲得を目指した球団はなく、12月8日に現役引退を発表した。引退後は広島で打撃投手に転身した。
選手としての特徴
[編集]捕手が捕球に困るほど大きく変化するスライダーが特徴で、シュート・シンカーなども投げる。パームボールは腕に負担がかかるため2005年を最後に使用を止めていたが、2009年のシーズンオフに再度習得に挑戦している[1]。しかし制球力が低く、特にスライダーはどこに行くか見当も付かなかったため、現役当時は話題にならなかった。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | 広島 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 15 | 3.0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 1.33 |
2002 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 9 | 1.2 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 3 | 16.20 | 3.00 | |
2003 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 72 | 16.0 | 17 | 1 | 5 | 2 | 2 | 10 | 1 | 0 | 10 | 5 | 2.81 | 1.38 | |
2004 | 47 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | -- | .500 | 211 | 45.2 | 51 | 7 | 21 | 3 | 4 | 37 | 0 | 0 | 24 | 21 | 4.14 | 1.58 | |
2005 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 17 | 3.2 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 3 | 7.36 | 2.18 | |
2006 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 12 | .333 | 273 | 65.1 | 59 | 7 | 25 | 6 | 7 | 44 | 1 | 0 | 30 | 26 | 3.58 | 1.29 | |
2007 | 57 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 16 | .600 | 204 | 48.1 | 48 | 4 | 19 | 1 | 2 | 28 | 0 | 0 | 19 | 19 | 3.54 | 1.39 | |
2008 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | ---- | 76 | 18.0 | 20 | 4 | 6 | 1 | 0 | 13 | 0 | 0 | 9 | 9 | 4.50 | 1.44 | |
2009 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 5 | .000 | 220 | 48.1 | 55 | 5 | 19 | 3 | 4 | 27 | 1 | 0 | 28 | 23 | 4.28 | 1.53 | |
2010 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 120 | 25.2 | 40 | 4 | 7 | 0 | 1 | 19 | 0 | 0 | 17 | 17 | 5.96 | 1.83 | |
2011 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 7 | 2.1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 | |
通算:11年 | 276 | 1 | 0 | 0 | 0 | 7 | 10 | 1 | 37 | .412 | 1224 | 278.0 | 305 | 34 | 104 | 16 | 22 | 187 | 4 | 0 | 145 | 128 | 4.14 | 1.47 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
[編集]この選手の記録に関する文献や情報源が必要です。 (2014年1月) |
- 初記録
- 初登板:2001年5月15日、対ヤクルトスワローズ8回戦(明治神宮野球場)、6回裏に3番手で救援登板・完了、3回2失点
- 初奪三振:2002年7月6日、対ヤクルトスワローズ11回戦(広島市民球場)、6回表に浜名千広から空振り三振
- 初勝利:2003年10月12日、対ヤクルトスワローズ25回戦(広島市民球場)、9回表に2死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 初先発:2004年7月8日、対阪神タイガース15回戦(広島市民球場)、4回2失点
- 初セーブ:2004年8月31日、対ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、11回裏2死に6番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 初ホールド:2006年4月22日、対中日ドラゴンズ4回戦(米子市民球場)、8回表無死に3番手で救援登板、1/3回無失点
- その他の記録
- 初登板で対戦した第一打者に被本塁打:上記の「初登板」の項を参照、6回裏無死に稲葉篤紀に中越ソロ ※史上47人目(セ・リーグ20人目)
- 1球勝利投手:2003年10月12日、対ヤクルトスワローズ25回戦(広島市民球場)、9回表に古田敦也を遊ゴロ ※史上16人目
- 1球勝利がプロ初勝利:同上 ※史上3人目
- 1球敗戦投手:2006年6月24日、対横浜ベイスターズ7回戦(広島市民球場)、8回表に村田修一に死球 ※史上18人目
- 1球勝利・1球敗戦を両方記録 ※史上2人目
背番号
[編集]- 53 (1998年 - 2011年)
- 111 (2012年)
- 103 (2013年 - 2014年)
脚注
[編集]- ^ a b 「広島・林、久々パームで投げ開眼!?イベントに参加」『スポニチ』2009年12月7日。2009年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月5日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 林昌樹 - NPB.jp 日本野球機構
- 浜松学院野球部後援会