林崎昭裕
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林崎 昭裕(りんざき あきひろ、1942年5月27日[1] - 1969年3月3日[2])は、日本の射撃競技(ライフル射撃)選手。明治大学在学中に1964年東京オリンピックに出場[3]、男子スモール・ボア・ライフル伏射で6位入賞。
経歴
[編集]山形県米沢市出身[4]。明治高等学校卒業後[5]、1961年(昭和36年)に明治大学に入学[2]。
明治大学入学後、射撃部に入部し頭角を現す[2]。1964年、大学4年生時[6]には射撃部主将を務め、伏射60発競技で日本選手権を獲得した[2]。1964年東京オリンピックに男子スモール・ボア・ライフル伏射種目[注釈 1]で出場し、6位入賞(594点)[7]。1位のラスロー・ハンメルは597点で、6位まで3点差という大接戦であった[8]。
大学卒業後は競技から引退し、兄の起こした会社に勤務した[2]。1969年(昭和44年)3月3日、交通事故により死去[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ISSFのカテゴリでは 50m Rifle Prone Men (FR60PR)。
出典
[編集]- ^ a b “Akihiro Rinzaki”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月1日閲覧。
- ^ a b c d e f 総明会周年委員会編纂委員会 2015, p. 119.
- ^ 束原文郎 2013, p. 273.
- ^ “山形県 中学生の体育資料 2014”. 開隆堂出版. p. 7 (2014年). 2021年5月3日閲覧。
- ^ 総明会周年委員会編纂委員会 2015, p. 41.
- ^ “明大射撃部略史”. 明治大学体育会射撃部. 2021年5月3日閲覧。
- ^ a b “Results”. ISSF. 2021年5月1日閲覧。
- ^ 総明会周年委員会編纂委員会 2015, p. 118.
参考文献
[編集]- 束原文郎「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、早稲田大学スポーツ科学学術院、2013年、2021年5月1日閲覧。
- 総明会周年委員会編纂委員会『総明会50周年記念誌』明治大学付属明治高等学校・中学校同窓会 総明会、2015年 。2021年5月3日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Akihiro RINZAKI - 国際射撃連盟 (ISSF)
- オリンピック日本代表選手団記録検索:「林崎、昭裕」の検索結果 - 日本オリンピック委員会 (JOC)