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松田喜一 (部落解放運動家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松田 喜一(まつだ きいち、1899年2月20日 - 1965年2月8日)は、奈良県出身の部落解放運動家。部落解放同盟中央本部副委員長。野間宏『青年の環』の島崎のモデル[1][2]。実弟は暴力団松田組初代組長の松田雪重[3]

略歴

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奈良県山辺郡二階堂村嘉幡(現・天理市)の被差別部落に生まれる[4]1922年3月、全国水平社の結成に参加。1922年8月、大阪水平社を組織。全水青年同盟委員長や本部理事を歴任後、日本共産党に入り、1928年三・一五事件で検挙され治安維持法違反で懲役4年の実刑判決を受けて下獄。出所後に高松差別裁判の糾弾などで活動。第二次大戦中は右翼的な部落厚生皇民運動で活動したが、特高警察からは偽装転向とみなされ検挙を受けた。

1945年8月、敗戦後の志摩会談に参加し、部落解放全国委員会を再建。部落解放同盟大阪府連合会委員長を経て中央副委員長を務めた。

脚注

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  1. ^ 木村京太郎『水平社運動の思い出』下巻230頁
  2. ^ 埴谷雄高『「青年の環」論集』(河出書房新社、1974年)148ページ
  3. ^ 人生幸朗的パギやん日記 2014年03月11日18時41分「「猫塚」について」
  4. ^ 木村京太郎『水平社運動の思い出』下巻220頁には「大阪市の西浜で生まれた」とある。同書下巻223頁では水国事件にふれて「松田君も母の郷里が現地に近い二階堂村嘉幡だったので」ともある。

参考文献

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