松浦邑
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文10年(1670年) |
死没 | 宝永5年10月29日(1708年12月10日) |
改名 | 厚(初名)、邑 |
別名 | 玄蕃(通称) |
戒名 | 松林院 |
墓所 | 東京都港区南麻布の光林寺 |
官位 | 従五位下・豊後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 平戸新田藩主 |
氏族 | 松浦氏 |
父母 | 父:松浦昌、母:加藤泰興の娘 |
兄弟 | 邑、馮、信守、千本倶隆ら |
妻 | 正室:旗本本田正信の娘 |
子 | 鄰 |
松浦 邑(まつら さとし)は、江戸時代中期の大名。肥前国平戸新田藩の第2代藩主。初代藩主・松浦昌の長男として誕生。母は加藤泰興の娘。
略歴
[編集]元禄3年(1690年)2月15日、5代将軍徳川綱吉に御目見する。宝永3年(1706年)5月7日、父昌の隠居により、家督を継いた。
宝永5年(1708年)10月29日に39歳で死去した。跡を長男の鄰が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 本田正信の娘
子女
- 松浦鄰(長男)