コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

松浦豊一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松浦 豊一
生誕 1890年10月1日
日本の旗 日本 長崎県
死没 (1966-04-16) 1966年4月16日(75歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1912年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
テンプレートを表示

松浦 豊一(まつうら ほういち[1]1890年明治23年)10月1日[2] - 1966年昭和41年)4月16日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

[編集]

1890年(明治23年)に長崎県で生まれた[2]陸軍士官学校第24期卒業[3]1937年(昭和12年)に留守第20師団兵器部長に就任[1]1938年(昭和13年)3月1日陸軍歩兵大佐に進級し[1]7月15日歩兵第81連隊長(中支那派遣軍第17師団・第17歩兵団)に着任[4]日中戦争に出動した[2]蘇州徐州に駐屯し[2]宜昌作戦、春期晥南作戦、などの各作戦に参加した[2]1940年(昭和15年)8月に関東軍歩兵第1下士官候補者隊長に転じ[4]1941年(昭和16年)6月28日北支那方面軍司令部附を経て[4]8月20日に保定幹部候補生隊長に就任した[4]

同年8月25日に陸軍少将に進級し[1]1942年(昭和17年)11月に独立混成第2旅団長(駐蒙軍)に就任[2]張家口に駐屯し、周辺の警備に当たった[3]1944年(昭和19年)11月5日中部軍兵務部長に転じ[2]1945年(昭和20年)2月1日中部軍管区兵務部長[5]3月31日に中部軍管区兵務部附を経て[6]4月30日長崎連隊区司令官兼長崎地区司令官に就任[7]。同年10月18日久留米師管区司令部附となった[8]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[9]

栄典

[編集]
勲章

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 外山 1981, 320頁.
  2. ^ a b c d e f g h 福川 2001, 674頁.
  3. ^ a b 福川 2001, 675頁.
  4. ^ a b c d 外山 1981, 321頁.
  5. ^ 第24号 昭和20年2月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120932700 
  6. ^ 第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900 
  7. ^ 第101号 昭和20年5月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120941200 
  8. ^ 第3号 昭和20年10月20日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120947900 
  9. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。
  10. ^ 『官報』第5029号「叙任及辞令」1943年10月15日。

参考文献

[編集]
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
');