松本長
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松本長(まつもと ながし、1877年(明治10年)11月11日 - 1935年(昭和10年)11月29日)はシテ方宝生流能楽師。静岡市出身[1]。
経歴
[編集]松本金太郎の次男として生まれる。1884年(明治17年)上京、明治天皇行幸能で子方などを務めたあと、1892年(明治25年)宝生九郎(16代家元)に入門。厳しい稽古を受け、野口兼資とともに宝生流の双璧とされた。
端正な品位の高い芸風で知られた。レコード(SP盤)で「卒都婆小町」が残る。
1920年頃より高浜虚子門下で句作を開始。これを契機に句謡会が生まれ、虚子最晩年まで続いた。著書に「松韻秘話」がある。
1935年(昭和10年)11月28日、早稲田大隈会館で行われた永楽宝生会主催の例会に出演し、「国栖」を謡っていている最中に卒倒[2]。 手当が行われたものの意識は回復せずに、翌11月29日に脳溢血により大隈会館内で死去。葬儀は同年12月2日、宝生会葬として青山斎場で行われた[3]。
家族
[編集]長男は俳人松本たかし、次男は能楽師松本惠雄(人間国宝)。泉鏡花の従兄に当たる。