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松本重威

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松本重威

松本 重威(まつもと しげたけ、1873年明治6年)8月12日[1] - 1947年昭和22年)[2]1月30日[要出典])は、日本の大蔵官僚錦鶏間祗候

経歴

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相馬藩士の松本威重の長男として福島県に生まれる。1898年(明治31年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、高等文官試験に合格した[1]。司税官、大蔵書記官専売局事業部長、大蔵省主税局長を歴任した[1]

1923年大正12年)4月6日に退官し日本興業銀行副総裁に就任[3]。その後、1924年(大正13年)1月24日に錦鶏間祗候を仰せ付けられた[4]。墓所は護国寺共葬墓地

宗教は神道、趣味は能楽[1]

栄典

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位階
勲章

脚注

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  1. ^ a b c d 大衆人事録 1930, p. マ之部 松八九.
  2. ^ 松本 重威|デジタル版『渋沢栄一伝記資料』”. 渋沢栄一記念財団 (n.d.). 2022年3月22日閲覧。
  3. ^ 『官報』第3203号、大正12年4月7日。
  4. ^ 『官報』第3426号、大正13年1月28日。
  5. ^ 『官報』第3223号「叙任及辞令」1923年5月1日。
  6. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。