松本紀子
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松本 紀子(まつもと のりこ、 1924年〈大正13年〉2月11日[1][2] - 2023年〈令和5年〉4月28日[3])は、日本の教育者。学校法人鎌倉女子大学学園主。
概要
[編集]1924年、仏教学者長井真琴の四女[2]として東京市本郷[4]に生まれる。誠之小学校[4]、東京府立第二高等女学校[4]に学び、東京家政学院では創設者の大江スミに師事[4]。1950年[1]、鎌倉女子大学・学祖松本生太の子、松本尚(後の鎌倉女子大学・学父)と柳原白蓮の媒酌[1][5]で結婚[4]。音楽学などを担当[4]する京浜女子大学講師となり、鎌倉女子大学教授、学長、理事長、学園長を歴任した。1999年には松竹株式会社から大船撮影所の敷地を取得[6]して大船キャンパスの開設(2003年)に尽力する[4]など、鎌倉女子大学における幼稚部から大学部までの一貫教育に力を注ぎ、その発展に大きく寄与した[7]。2004年に愛誦した236曲を集めた歌集『音楽の森』を編集出版[8]。学外では、篁会(第二高女・竹早高校同窓会)会長[9]、国際ソロプチミスト鎌倉会長[10][11]などを歴任。料理研究家の城戸崎愛とは誠之小学校から家政学院までの同窓生だった[2]。2023年4月28日、老衰のため横浜市緑区の介護老人施設で死去[3]。99歳。
経歴
[編集]- 1941年 東京府立第二高等女学校(現・東京都立竹早高等学校)卒業
- 1943年 東京家政学院 卒業
- 1955年 京浜女子大学(鎌倉女子大学) 講師
- 1960年 京浜女子大学短期大学部 教授[1]
- 1985年 京浜女子大学 教授
- 1997年 鎌倉女子大学 学長
- 1998年 学校法人鎌倉女子大学 理事長
- 2000年 文部大臣賞 受賞
- 2002年 日本私立短期大学協会 理事長
- 2005年 学校法人鎌倉女子大学 学園主
脚注
[編集]- ^ a b c d “高女卒業生訪問記 第2回 松本 紀子さん”. 篁会. 2021年4月27日閲覧。
- ^ a b c “学園主・松本紀子先生の米寿をお祝いする会”. 学校法人鎌倉女子大学. 2021年12月閲覧。
- ^ a b 「松本 紀子氏(おくやみ)」『神奈川新聞』2023年5月9日、19面。
- ^ a b c d e f g “学園主 松本紀子先生 ご逝去の報”. 学校法人鎌倉女子大学 (2023年5月8日). 2023年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月26日閲覧。
- ^ 松本紀子「柳原白蓮と私」(PDF)『学園だより』第172号、鎌倉女子大学、2014年7月8日。
- ^ 「大船撮影所を全面売却」『神奈川新聞』1999年10月28日、1面。
- ^ “鎌倉女子大学・鎌倉女子大学短期大学部|沿革”. 2013年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月7日閲覧。
- ^ 松本紀子 編『音楽の森』教育芸術社、2004年4月。ISBN 9784877882136。全国書誌番号:22945665。
- ^ 「歴代篁会会長座談会-高女の思い出を語る-」(PDF)『会報 No.27』、篁会、2016年4月22日、13-15頁。
- ^ “国際ソロプチミスト鎌倉会長 松本紀子さん(鎌倉ユネスコ会員のひろば)”. www.unesco.or.jp. 鎌倉ユネスコ協会. 2021年12月13日閲覧。
- ^ “国際ソロプチミスト鎌倉 松本 紀子会長”. タウンニュース. (2013年8月9日) 2023年6月25日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
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