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松平知豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平知豊
時代 江戸時代後期
生誕 天明7年6月1日1787年7月15日
死没 文化元年7月3日1804年8月8日
戒名 大応院
墓所 泰宗寺(結城松平家合葬)
官位 従五位下大隅守
武蔵川越藩世嗣
氏族 結城松平家
父母 松平直恒
兄弟 知豊、兼子、直温斉典朝蟻、磯子、絹、岸、季遠姫、可寛
松平康哉
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松平 知豊(まつだいら ともとよ)は、江戸時代後期の武蔵国川越藩の世嗣。官位従五位下大隅守

略歴

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天明7年(1787年)、2代藩主・松平直恒の長男として誕生。正室は松平康哉娘。

元服して、曽祖父・義知(よしちか、明矩の初名)より1字を取り知豊と名乗る。享和3年(1803年)、11代将軍・徳川家斉に初御目見し叙任するが、文化元年(1804年)に早世した。代わって、弟・直温が嫡子となり家督を継いだ。