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松平清定 (安土桃山時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松平 清定[1](まつだいら きよさだ)は戦国時代から江戸時代前期の武将徳川氏の家臣。竹谷松平家の分家の登之助家の祖。通称は登之助。

父は松平清宗。母は松平好景の娘。

妻は松平康忠の娘。子に松平清信がいる。

松平登之助家の歴代

初代:清信(きよのぶ)1604年1671年

父は松平清定。母は松平康忠の娘。

御小姓組を務める。

2代:清行(きよゆき)1622年1670年

父は松平清信。母は不明。

御小姓組中奥番士を務める。

3代:清親(きよちか)1646年1720年

父は松平清行。母は松平清昌の娘。

御小姓組の番士・御小納戸を務める。

4代:清興(きよおき)1687年1746年

父は松平氏辰形原松平家の分家)。母は松平典信の娘。

御書院番御徒頭を務める。

5代:親賢(ちかよし)1706年1743年

父は松平清興。母は松平正房の娘(正房は清親の弟)。

6代:親房(ちかふさ)1718年〜?年

父は松平義尭竹谷松平家)。母は不明。

西ノ丸御小百姓組を務める。

7代:貴強(たかます)1742年1799年

父は松平親賢。母は不明。

大阪町奉行長崎奉行勘定奉行を務める。

(詳しくは「松平貴強」の項目を参照。)

8代:善宝(よしとみ)?年〜1820年

父は松平貴強。母は小坂雄税の娘。

御小姓組使番を務める。

  1. ^ SGM335 (2023年1月21日). “竹谷松平家”. 探検!日本の歴史. 2024年12月9日閲覧。