松平忠英
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「松平忠恒」とは別人です。 |
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政2年1月9日(1790年2月22日) |
死没 | 文化7年4月10日(1810年5月12日) |
官位 | 左衛門佐 |
藩 | 信濃上田藩世嗣 |
氏族 | 藤井松平家 |
父母 | 父∶松平忠済 |
兄弟 |
忠英、忠和、丹羽氏昭正室、光柏院、 岡部長慎正室、永井尚監正室、 相馬樹胤正室、柳生俊睦正室、 松平忠徳正室ら |
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松平 忠英(まつだいら ただつね)は、江戸時代後期の信濃国上田藩の世嗣。官位は左衛門佐。
4代藩主・松平忠済の長男として誕生した。
文化7年(1810年)、家督を継ぐことなく早世した。忠英死後、嫡子の座をめぐって御家騒動が起こり、藩主・忠済は分家の忠学を養子に迎えた。