英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区
松嶺智義(しょうれい ちぎ)は、鎌倉時代後期の臨済宗の僧。後深草天皇の皇子[2]。
京都東福寺の東山湛照について出家し、建仁寺の鏡堂覚円に師事[2]。湛照の法を嗣いだ[2]。のち円通寺、三聖寺、万寿寺の住持を歴任した[2]。