松島茂承
松島 茂承(まつしま しげつぐ、1842年10月20日(天保13年9月17日) - 没年不明)は、明治期の日本の剣術家。流派は神道無念流。茨城師範学校撃剣部(剣道部)師範[1][2]。茨城県水戸市在籍。兄の松島秀実も剣術家であり、精錬証(第2回)を授与された[3][4]。旧水戸藩士。
経歴
[編集]代々水戸藩の家臣を務めた松島家の長男として江戸礫川(現:東京都文京区小石川)の水戸藩邸で生まれる。父は茂孝。幼少期から学問を好み武術を嗜んでいた[1]。
学問は大関閑遊や石川清浅、近藤彦八郎と石川吉次郎(石川清賞)らに学び、15歳にして弘道館勺讀世話役となった[1]。また武術は水府流水術を市村治部介、無形流剣術を樫村安衛門、宝蔵院流槍術を市川善太夫、神道無念流剣術を岩崎勝太郎、神発流砲術を伊藤八蔵、大坪流馬術を豊田金蔵に学んだ[1]。文武の傍らでは、稲葉通高に小笠原流礼法の教授を受け起居動作の作法を学んだ[1]。
武術の中でも特に剣術に優れており、幕末江戸三大道場の一つ「練兵館」の創立者である斎藤弥九郎に従って神道無念流剣術を修行した[1]。1861年(文久元年)師範の武田魁介(天狗党の首領・武田耕雲斎の次男)から神道無念流剣術の免許皆伝を受けた[1]。
1898年(明治31年)大日本武徳会茨城地方事務員に選ばれる[1][5]。同年、茨城県師範学校徐捷会撃剣部の指導にあたった[1][5]。
1899年(明治32年)大日本武徳会茨城支部幹事を嘱託される[1][5]。
1890年(明治33年)大日本武徳会から事務励精を称揚され木盃を贈られる[1][5]。
1891年(明治34年)茨城県師範学校から撃剣教授を嘱託され指導にあたった[1][5]。
家族
[編集]略系図
[編集]林洞海 | 阪谷朗廬 | 渋沢栄一 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
榎本武揚 | 多津 | 貞 | 赤松則良 | 松島茂承 | 稲葉通明 | 中村雄次郎 | 阪谷芳郎 | 琴子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
森鷗外 | 登志子 | 赤松範一 | ぎむ | 稲葉彦六 | 岩崎長思 | 宮脇金一郎 | 加納久朗 | 中村貫之 | 八重子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
森於菟 | 赤松照彦 | 稲葉通彦 | 薫 | 宮脇倫 | 中村久次 | 妙子 | 橋本龍伍 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
満喜子 | 稲葉智彦 | 邦子 | 宮脇磊介 | 千恵子 | 中村雄一 | 久美子 | 橋本龍太郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宮脇信介 | 橋本岳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宮脇花綸 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 菊巒加門 (1902年). “武術名家伝”. dl.ndl.go.jp. pp. 62-63. 2024年10月17日閲覧。
- ^ 杉江正敏(大阪大学). “近代武道の成立過程に関する研究ー水戸版『日本武術名家伝』の分析的考察ー”. 2024年10月18日閲覧。
- ^ 中村広修『茨城の剣道史』暁印書館、1975年。
- ^ a b c “大衆人事録 第14版 東京篇”. dl.ndl.go.jp. 帝国秘密探偵社. p. 922 (1942年). 2024年10月17日閲覧。
- ^ a b c d e “武道学研究 11(3)”. dl.ndl.go.jp. 日本武道学会. p. 19 (1979年). 2024年10月17日閲覧。
- ^ “稻葉彦六 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2024年10月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 菊巒加門『武術名家伝』、1902年。