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松山兼三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松山 兼三郎(まつやま かねさぶろう、1874年11月3日[1] - 1942年3月9日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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愛知県出身[2]1893年、愛知県尋常中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)卒。陸軍に入り、歩兵中尉となり、日清戦争日露戦争に参加する[2]。帰国後は農業を営み、萩野村長、西春日井郡議、愛知県議を務め[2]、興農(株)支配人、(株)名古屋証券交換所取締役、帝国在郷軍人会西春日井郡連合分会長、愛知県農会幹事となる[2]

1924年第15回衆議院議員総選挙において愛知4区から政友本党公認で立候補して当選した[3]。のち新正倶楽部に移り、衆議院議員を1期務めた。1928年第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1942年死去。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、15頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』610頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』74頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。