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松室仲子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松室 仲子(まつむろ なかこ、1707年宝永4年9月28日) - 1751年寛延4年))は、霊元天皇後宮。父は松室重仲。猶父は愛宕通晴。少納言局と称する。法号は聚光院。秦仲子とも呼ばれる。

生涯

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松室重仲の娘として生まれる。その後、権中納言愛宕通晴の猶子となる[1]

霊元天皇に仕え、1715年正徳5年)に尊胤法親王を生む。少納言局と称した。霊元天皇の死後は出家して聚光院と号した[2]

1751年寛延4年)、死去[2]

脚注

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  1. ^ 「日本史学年次別論文集」(朋文出版、2001年
  2. ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社