松代松之助
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松代 松之助(まつしろ まつのすけ、1867年10月21日(慶應3年9月24日) - 1948年4月22日)[1]は、日本の技術者。1898年に日本で初めて無線電信通信の実験に成功した[2]。
経歴
[編集]京都府出身。1887年(明治20年)に東京に出て工学を修め逓信省において通信技師となった[3]。そこで無線電信の研究を行った[3]。1898年に日本初の無線電信通信の実験に成功した他、海軍から要請され、木村駿吉らとともに三四式無線機(三六式無線機の前身)を製作している[2]。
1905年(明治38年)に官を辞して日本電気に招聘され、同社を大阪支社を創立し支店長となった[3]。その後、同社の取締役を務めた[3]。守谷商会の監査役も務めた[3]。
家族
[編集]4人の息子と4人の娘をもうけた。
長女の照子は、守谷吾平の長男である正毅に嫁ぎ、二女の春は、大塚栄吉の長男である肇に嫁いだ[3]。