松井房治郎
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松井 房治郎(まつい ふさじろう、1881年(明治14年)7月23日[1] - 1937年(昭和12年)12月10日[2])は、朝鮮総督府官僚。
経歴
[編集]京都府愛宕郡岩倉村(現在の京都市左京区)出身[3]。1911年(明治44年)、東京帝国大学法科大学を卒業[1]。大蔵省を経て[1]、朝鮮総督府で財務部長や税関長を務め、全羅南道内務部長、慶尚南道内務部長、京畿道内務部長、京城府尹を歴任し、1929年(昭和4年)に咸鏡南道知事に就任した[4]。
1930年(昭和5年)に退官した後は、朝鮮米穀倉庫株式会社社長、朝鮮郵船株式会社取締役、朝鮮農会副会長などを務めた[1][4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 大衆人事録 1937.
- ^ 『昭和十四年 国民年鑑』国民新聞社、1938年。
- ^ 大京城公職者名鑑 1936, p. 50.
- ^ a b 朝鮮人物選集 1934, pp. 140–143.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
- 阿部薫『朝鮮人物選集』民衆時論社出版部、1934年。
- 京城新聞社編『大京城公職者名鑑』京城新聞社、1936年。