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松井勝之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松井 勝之(まつい かつゆき)は、安土桃山時代(戦国時代)の室町幕府重臣・武将。京都郊外の松井城主。松井正之(山城守)の長男、康之(佐渡守)の兄。

生涯

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松井氏は松井宗次足利尊氏に仕えて以来、代々足利将軍の重臣として仕えた[1] 。父の正之(山城守)は将軍足利義晴の重臣として仕えていたが、若い頃に病没したため、長男勝之が家督を継いた。勝之は13代将軍足利義輝に仕えていたが、永禄8年(1565年)5月19日に三好三人衆らにより、義輝が殺害され、松井新三郎(三男)も共に討死した(永禄の変)。その変により勝之は殉死し、二男の康之が家督を継いだ[2]

墓は久美浜の宗雲寺にあると伝えられてきたが、近年の調査で勝之の墓とされたものは、正之の娘婿で康之の客将となった角田藤秀(宗伊)のものであったことが判明している[3]

脚注

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  1. ^ 松井家譜
  2. ^ 『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館 391頁
  3. ^ 福原透「角田因幡守入道宗伊・細川陸奥守入道宗賢の事蹟について」木下昌規 編『シリーズ・室町幕府の研究 第四巻 足利義輝』(戎光祥出版、2018年) ISBN 978-4-86403-303-9 P129.

八代市立博物館解説シート 戦国武将 松井康之の軌跡

松井康之伝 久米忠臣

『日本氏姓大辞典』 2.山城の松井氏