松井亮吉
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松井 亮吉[1](まつい りょうきち、前名・章吉[2]、1894年(明治27年)12月15日 - 没年不明)は、日本の酒造家(寛永11年創業[3]、平野屋[4]、銘酒「山の井」の醸造元[5])、広島県多額納税者[1]、会社役員。
第六十六銀行(現・広島銀行)、広島桟橋各監査役[2]。族籍は広島県平民[2]。
人物
[編集]広島県広島市出身。先代亮吉の長男[2]。県立広島一中卒業[5]。1918年、家督を相続し前名・章吉を改め襲名した[4]。平野屋と称し、酒造業を営んだ[4]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[6]。
『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』によると、松井亮吉(調査年月・1932年4月)は「正身身代・P、信用程度・B、職業・酒造」である[7]。趣味は郷土史研究[4]。宗教は禅宗[4]。住所は広島市京橋町[2][4]。
家族・親族
[編集]- 松井家
家系について『広島県紳士録 昭和8年版』によると、広島市京橋町の松井家祖先の伊右衛門は、豊田郡小田の荘より出て寛永年間広島に酒造業を創業したという[5]。
- 父・亮吉[2]
- 母・スミ(1876年 - ?、広島、尼子忠蔵の妹)[2]
- 妹・温子(1903年 - ?、広島、松井久次郎の養子)[2]
- 妻・イサ(1901年 - ?、母スミの姪)[2]
- 長女[2]
- 二女[2]
- 三女[4]
- 男[4]
- 二男[4]
- 親戚
- 尼子忠蔵(醤油商、第六十六銀行、尾道貯蓄銀行各取締役)
脚注
[編集]- ^ a b 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第7版』ま18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月9日閲覧。
- ^ 『広島市史 第4巻』428頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 下』マ66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月9日閲覧。
- ^ a b c 『広島県紳士録 昭和8年版』59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月9日閲覧。
- ^ 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月9日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』広島県ま之部34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 広島市編『広島市史 第4巻』広島市、1922年-1925年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』商業興信所、1933年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。