日尾八幡神社
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(東道後神社から転送)
日尾八幡神社 | |
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正面 | |
所在地 | 愛媛県松山市鷹子町894 |
位置 | 北緯33度49分2秒 東経132度48分23秒 / 北緯33.81722度 東経132.80639度座標: 北緯33度49分2秒 東経132度48分23秒 / 北緯33.81722度 東経132.80639度 |
主祭神 |
品陀和気命 帯仲日子命 大帯姫命 |
社格等 | 旧県社 |
創建 | 天平勝宝4年(752年) |
本殿の様式 | 流造 |
別名 | 久米八幡宮 |
例祭 | 10月15日 |
日尾八幡神社(ひおはちまんじんじゃ)は、愛媛県松山市にある神社。神紋は左三つ巴。旧社格は県社。
祭神
[編集]- 西玉殿
- 品陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇)
- 帯仲日子命(たらしながつひこのみこと、仲哀天皇)
- 中玉殿
- 多紀理毘命(たぎりひめのみこと、比売神、宗像三女神)
- 狭依毘売命(さよりひめのみこと、比売神、宗像三女神)
- 多紀都毘売命(たぎつひめのみこと、比売神、宗像三女神)
- 東玉殿
- 大帯姫命(おほたらしひめのみこと、神功皇后)
- 西玉殿側玉殿
- 健内宿禰命(たけうちすくねのみこと)
- 中玉殿
- 伊予比売命(いよずひめのかみ)
- 饒速日命(にぎはやひこのみこと)
- 東玉殿側玉殿
- 猿田毘古大神(さるたひこのおおかみ)
由緒
[編集]- 天平勝宝4年(752年)、宇佐より神霊を勧請し久米八幡宮として建立。
- 天平神護元年(765年)、孝謙天皇の勅願所として社殿の建築を始め、翌年に完成。
- 神護景雲3年(769年)2月、称徳天皇が勅使を向かわせ神衣を奉納。
- 宝亀7年(776年)8月と宝亀9年(778年)3月には、光仁天皇が2度に渡り幣帛を奉納。
- 文治年間(1185~1189年)、源頼朝によって再建。
- 承久年間(1219~1221年)、河野通信によって社殿の改造。
- 応永年間(1394~1427年)、火災により社殿および社宝、社史を焼失。
- 永享3年(1431年)、河野氏によって社殿を再建。
- 天正13年(1585年)、河野氏の滅亡により一時荒廃する。
- 慶長年間(1596~1615年)、松山藩の藩主となった加藤嘉明が、松山八社八幡の二番社とした後は、歴代藩主の崇敬をうける。
- 明治5年(1872年)、郷社となる。
- 明治12年(1879年)、県社となる。
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大鳥居
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神門
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石段
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拝殿
境内社
[編集]- 祭神は天御中主大神、天照皇大神、月夜見大神、合祀として後藤信正翁命。
- 主祭神3柱の神徳を日、月、星の三光になぞらえ三光神社と称して古来より脳の守護神、また神経痛、中風除けの神して崇敬されている。1974年(昭和49年)3月の改築の際に日尾八幡神社の氏子内の温泉守護として祀り、社号を東道後神社と改める。月並祭は毎月1日、大祭は5月3日。
- 杉谷金比羅大権現神社(石段中腹東側)
- 奈良原神社(石段中腹西側)
- 生目神社(手水舎西側)
年中行事
[編集]日付 | 祭祀 |
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1月1日 | 歳旦祭 |
7月30日 | 夏越祭 |
10月15日 | 例大祭 |
その他
[編集]- 祭神の伊予比売命は、往古伊予比古命(いよずひこのみこと、夫婦神とされる)と共に伊予国の地神として、また久米氏の祖神として久米郡神戸郷古天野神山(現在の松山市小野町小屋峠)に祀られていたが、洪水により社殿が崩壊し、平井谷明神ヶ鼻に遷座された。その後(一説では延喜17年(917年))に再び水害に遭い、両神体が漂流し、伊予比売命については、日瀬里(現在の久米窪田町)の龍神淵にて引き上げられ久米八幡宮に合祀された。