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東海市立横須賀小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東海市立横須賀小学校
地図北緯35度0分44.3秒 東経136度53分26.6秒 / 北緯35.012306度 東経136.890722度 / 35.012306; 136.890722座標: 北緯35度0分44.3秒 東経136度53分26.6秒 / 北緯35.012306度 東経136.890722度 / 35.012306; 136.890722
過去の名称 横須賀町立横須賀小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 東海市
設立年月日 1907年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210007505 ウィキデータを編集
所在地 477-0037
愛知県東海市高横須賀町大塚36
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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東海市立横須賀小学校(とうかいしりつよこすかしょうがっこう)は、愛知県東海市高横須賀町にある公立小学校

校訓

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  • 明るく たくましく 心豊かに

概要

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  • 東海市南西部(旧・知多郡横須賀町)の小学校であり、校区は大田町(川島の一部、汐田の一部)、高横須賀町(木廻間を除く)、横須賀町、元浜町、中ノ池 養父町1-3丁目、養父町(海老田 、大木之本、押切、苅宿、義神、北反田、北堀畑、小蔵谷 、里中、島ノ内、釈迦御堂、正神、城之内、浅間前、竹ケ鼻、角木、中川、西川向、野崎、墓下、蓮沼、八王子、八ケ池 、 浜脇 、東川向、前田、真崎)である。公立中学校の進学先は東海市立横須賀中学校である[1]

沿革

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横須賀小学校の創立年は1907年であるが、これはこの地域の3つの小学校を統合した年である。ここではそれ以前についても記述する。

  • 1872年(明治5年) -
    • 横須賀町方に郷校として執中学校が開校する。
    • 高横須賀村に郷校として拝熾学校が開校する。
    • 藪村に郷校として明博学校が開校する。
  • 1873年(明治6年) -
    • 執中学校が扇島学校に改称する。
    • 大里村に巍々学校が開校する。
  • 1874年(明治7年) - 拝熾学校が知多郡第二十三区高横須賀学校に改称する。
  • 1876年(明治9年) -
    • 横須賀町方、高横須賀村、藪村が合併し、横須賀村が発足。
    • 大里村と木田村が合併し、大田村が発足。
  • 1879年(明治12年) - 巍々学校が新築移転し、大田学校に改称する。
  • 1883年(明治16年) - 明博学校が新築移転する。
  • 1882年(明治15年) - 横須賀村が分立し、横須賀村、高横須賀村、養父村(旧・藪村)となる
  • 1889年(明治22年) -
    • 横須賀村が町制施行。横須賀町となる。
    • 扇島学校が扇島尋常小学校、高横須賀学校が高横須賀尋常小学校、大田学校が大田尋常小学校、明博学校が養父尋常小学校に改称する。
  • 1906年(明治39年)5月1日 - 横須賀町、大田村加木屋村高横須賀村養父村が合併し、横須賀町となる。
  • 1907年(明治40年)1月1日 - 扇島尋常小学校、養父尋常小学校、高横須賀尋常小学校、大田尋常小学校を統合し、横須賀尋常高等小学校となる。統合校舎は無く、旧・扇島尋常小学校を第一校舎、旧・養父尋常小学校を第二校舎、旧・高横須賀尋常小学校を第三校舎、永昌院[注釈 1][2]に第三校舎付属仮校舎、旧・大田尋常小学校を第四校舎、加木屋尋常小学校に高等科の加木屋仮教場を設置。
  • 1908年(明治41年) - 加木屋仮教場を廃止。
  • 1909年(明治42年)
    • 1月16日 - 現在地に統合校舎が完成。第一校舎、第二校舎、第三校舎、第三校舎付属仮校舎、第四校舎を廃止。
    • 11月7日 - 開校式を行う。
  • 1917年(大正6年) - 実業補習学校を併設する。
  • 1923年(大正12年) - 愛知県横須賀町立横須賀高等女学校を併設する。
  • 1924年(大正13年) - 横須賀高等女学校が校舎を新築し、移転する。
  • 1926年(大正15年) - 校舎を増築する。
  • 1928年(昭和3年) - 青年訓練所を併設する。
  • 1938年(昭和13年) - 校舎を増築する。
  • 1940年(昭和15年) - 青年学校を併設する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 愛知県知多郡横須賀町横須賀国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 横須賀町立横須賀小学校に改称する。
  • 1948年(昭和23年) - 敷地内に横須賀町立横須賀中学校校舎が完成する。
  • 1956年(昭和31年)5月10日 - 隣接の旧・横須賀高等学校校舎[注釈 2]を買収し、教室を増やす。
  • 1956年(昭和31年) - 校舎を増築する。
  • 1962年(昭和37年)8月23日 - 新校舎第一棟(鉄筋コンクリート造)が完成する。
  • 1963年(昭和38年)
    • 3月29日 - 新校舎第第二、第三棟(鉄筋コンクリート造)が完成する。
    • 10月19日 - 新校舎第四棟(鉄筋コンクリート造)が完成する。
  • 1966年(昭和41年)10月14日 - 本館が完成する。
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月20日 - 屋内運動場が完成する。
    • 4月1日 - 横須賀町と上野町が合併し、東海市が発足。同時に東海市立横須賀小学校に改称する。
  • 1971年(昭和46年)4月1日 - 校舎内に東海市立横須賀小学校大田分校を設置する。
  • 1972年(昭和47年)
    • 4月1日 - 大田分校が東海市立大田小学校として分立する。大田小学校校舎未完成のため、引き続き横須賀小学校校舎を使用する。
    • 9月1日 - 大田小学校の校舎が完成し、移転する。
  • 2000年(平成12年) - 新体育館が完成する。
  • 2006年(平成18年) - 創立100周年記念式典を行う。

交通アクセス

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周辺施設

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参考文献

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  • 東海市史 通史編 (東海市史編さん委員会 1990年) P.566 - 586 652 - 690 963 - 974
  • 横須賀町史 (横須賀町史編集委員会 1969年) P.388 - 427

脚注

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注釈

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  1. ^ 現在の愛知県東海市高横須賀町北屋敷に存在した寺院(現在は廃寺)。今川義元の遺体を埋めたという伝説がある。
  2. ^ 横須賀高等学校は1953年に現在地に移転。

関連項目

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外部リンク

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