東方通信社
東方通信社(とうほうつうしんしゃ、英語: Eastern News Agency)は、1938年10月にシンガポールで設立された日本の通信社。従業員3人で、マラヤの新聞社やシンガポールなどの在留日本人向けに情報サービスを提供、そのほとんどは同盟通信社が配信したニュースだった。
設立
[編集]従業員は3人で[1]、同社の主筆・小林猪四郎は同盟通信シンガポール支社の社員でもあった[2]。また篠崎護は同社の社員だった[1]。同社社員は、1938年8-10月頃に、在シンガポール日本総領事館の「嘱託」として公務パスポートを所持してシンガポールに入った[3]。
業務内容
[編集]東方通信社は、マラヤの新聞社に無料で情報サービス(Eastern News)を提供し、シンガポールなど各地の在留日本人にサービスを提供していた[2]。
提供したニュースのほとんどは、日本の同盟通信社が配信したニュースだった[2]。篠崎 (1981, p. 171)は、編集長に米・ポートランドから日系2世のウィリアム細川を迎えてシンガポールで創刊した英字新聞『シンガポールヘラルド』に「日本からのフレッシュな」、「歪曲されない」ニュースを供給するのが自分の役目だった、としている。
スパイ容疑
[編集]1940年8月4日、コックス事件に関連して小林がシンガポールの警察当局により逮捕された[4][2](49日間の拘留後、同年9月21日に釈放[4][5])。
同年9月21日(小林の解放と同日)には、同社の従業員だった篠崎護がスパイ容疑で逮捕された[5]。11月に行われた裁判で、篠崎の逮捕前に東方通信社の組織再編成が計画されており、中国語ニュース配信部門の新設が検討されていたことが明らかになった[6]。裁判の結果、篠崎は有罪(3年半の懲役)の判決を受け、収監された(篠崎スパイ事件)[7]。
脚注
[編集]- ^ a b c Bridges 1986, p. 24.
- ^ a b c d e The Straits Times & 1940-08-05.
- ^ Bridges (1986, p. 24)。小林は同社設立の直前(The Straits Times & 1940-08-05)、篠崎は1938年8月にシンガポール入りした(篠崎 1981, p. 171)。入境時に海峡植民地の入国管理局から見咎められ、正式な領事館員とは認められなかった(Bridges 1986, p. 24)。
- ^ a b Bridges 1986, p. 31.
- ^ a b The Straits Times & 1940-09-22.
- ^ The Straits Times & 1940-11-21.
- ^ Bridges 1986, p. 28.
参考文献
[編集]- Bridges, Brian (1986-1). “Britain and Japanese Espionage in Pre-War Malaya: The Shinozaki Case”. Journal of Contemporary History 21 (1): 23-35.
- 篠崎, 護 著「篠崎護氏インタヴュー記録」、東京大学教養学部国際関係論研究室 編『インタヴュー記録 D.日本の軍政』 6巻、東京大学教養学部国際関係論研究室、1981年、169-213頁。
- The Straits Times (1940年11月21日). “POLICE EVIDENCE AT SHINOZAKI TRIAL”. The Straits Times: p. 11 2016年6月19日閲覧。
- 南洋商報 (1940年9月22日). “倭僑小林豬四郎在星被釋”. 南洋商報. 路透社: p. 2 2016年4月26日閲覧。
- The Straits Times (1940年9月22日). “Singapore Japanese Released”. The Straits Times: p. 9 2016年5月1日閲覧。
- The Straits Times (1940年8月5日). “JAPANESE DETAIINED IN SINGAPORE”. The Straits Times: p. 8 2016年5月1日閲覧。