東平四傑
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東平四傑(とうへいしけつ)は、大元ウルス(元朝)初期に活躍した4人の名官(閻復・徐琰・李謙・孟祺)の総称。いずれも東平厳氏の整備した東平府学で学んだことからこう呼ばれた。
概要
[編集]金末、東平に拠点を置いた漢人世侯(漢人軍閥)の一人の厳実はモンゴルの侵攻によって荒廃した領地の復興に尽力し、その一環として東平府学を整備し多くの人材を育てた。東平府学では当時代表的な知識人として知られた元好問を講師として招き、その指導の下最も優れているとされたのが閻復・徐琰・李謙・孟祺の4名であった[1][2][3]。
東平府学の出身者の多くは文人もしくは高官として成功した。特に翰林院に務めた者は多く、「翰林院の東平出身者は多く、10人中6・7人にも及ぶ」と評されている[4]。
脚注
[編集]- ^ 元好問『東平府新学記』
- ^ 『元史』巻160列伝47閻復伝,「時厳実領東平行台、招諸生肄進士業、迎元好問校試其文、預選者四人、復為首、徐琰・李謙、孟祺次之」
- ^ 李2002,69-72頁
- ^ 袁桷『清容居士集』「送程士安官南康序」
参考文献
[編集]- 杉山正明『耶律楚材とその時代』白帝社、1996年
- 李献芳「元初東平府学的興盛及其原因」『斉魯学刊』6期、2000年
- 李献芳「元好問在東平的活動及対文化的貢献」『斉魯学刊』5期、2002年