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東光寺 (板橋区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東光寺
所在地 東京都板橋区板橋4-13-8
位置 北緯35度45分0.1秒 東経139度42分54.4秒 / 北緯35.750028度 東経139.715111度 / 35.750028; 139.715111 (東光寺 (板橋区))座標: 北緯35度45分0.1秒 東経139度42分54.4秒 / 北緯35.750028度 東経139.715111度 / 35.750028; 139.715111 (東光寺 (板橋区))
山号 丹船山[1]
院号 薬王樹院[1]
宗派 浄土宗[1]
本尊 阿弥陀如来
創建年 室町時代後期
開山 天誉[1]
正式名 丹船山藥王樹院東光寺
札所等 北豊島三十三ヶ所霊場22番札所
文化財 宇喜多秀家供養塔(板橋区指定有形文化財)、東光寺寛文二年庚申塔(板橋区指定有形文化財)
公式サイト 東光寺-いたばし-
法人番号 1011405000442 ウィキデータを編集
東光寺 (板橋区)の位置(東京都区部内)
東光寺 (板橋区)
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東光寺(とうこうじ)は、東京都板橋区にある浄土宗寺院

概要

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室町時代後期、天誉(1491年寂)によって開山された。元々は近くの船山(現・加賀公園)にあった。山号の「丹船山」は元所在地に由来する。1679年延宝7年)の加賀藩下屋敷の設置に伴い、現在地に移転した[2]

境内には、宇喜多秀家の墓(供養塔)がある。秀家は流刑地の八丈島で没したが、彼の子孫は前田家の援助[注釈 1]の下、引き続き八丈島に住み続けた。明治時代に赦免となり、前田家は秀家の子孫たちを旧藩下屋敷跡地[注釈 2]に住まわせた。その際に秀家の供養塔を建立したものである[3]

寺宝等

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交通アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 秀家夫人豪姫の縁による。
  2. ^ ちなみに旧藩下屋敷跡地に付けられたは「浮田(うきた)」である。

出典

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  1. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 下板橋宿.
  2. ^ 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年、22-26p
  3. ^ 東光寺のご案内板橋区教育委員会事務局生涯学習課

参考文献

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  • 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年
  • 馬場憲一 著『板橋区史跡散歩 (東京史跡ガイド19)』学生社、1993年
  • 「下板橋宿 東光寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ12豊島郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/34 

関連項目

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外部リンク

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