東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯
東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯 | |
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Tokyo-Seoul-Bangkok Drug Triangle 동경-서울-방콕 추적 삼만킬로 | |
監督 | 中島貞夫 |
脚本 | 高田宏治・中島貞夫 |
原案 | 菅原通済 |
出演者 |
千葉真一 苗可秀 チャイヤ・スリヤン 金昌淑 松方弘樹 |
音楽 | 荒木一郎 |
撮影 | 増田敏雄 |
編集 | 市田勇 |
製作会社 |
東映 タイブリン社 韓国映画人協會 |
配給 | 東映 |
公開 |
1972年 1973年9月15日 |
上映時間 | 104分 |
製作国 |
日本・ イギリス領香港 タイ・ 韓国 |
言語 | 日本語・広東語・タイ語・朝鮮語 |
『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(とうきょう ソウル バンコック じつろくまやくちたい、Tokyo-Seoul-Bangkok Drug Triangle, 동경-서울-방콕 추적 삼만킬로 )は、1972年の日本・香港・タイ・韓国合作映画。主演:千葉真一、監督:中島貞夫、製作:東映・タイブリン社・韓国映画人協會、カラー・シネマスコープ、104分。
概要
[編集]「三悪追放キャンペーン」をしていた菅原通済の実体験をベースに映画化され、四か国のトップスターが競演している国際スケールのアクション大作[1][2]。菅原主宰の三悪追放協会は、千葉真一主演映画『麻薬売春Gメンシリーズ』(1972年)に引き続き、本作も全面協力した。日本からは主人公の千葉と敵役の松方弘樹、香港から苗可秀、タイ王国からチャイヤ・スリヤン、大韓民国から金昌淑らが、配役された。クエンティン・タランティーノが脚本を担当したアメリカ映画『トゥルー・ロマンス』には、本作品のポスターが劇中に登場している。
ストーリー
[編集]ダンプカーの運転手・和田達也は、日本からフェリーで釜山へ渡航した。韓国で新婚旅行中に、達也の妹・朋子とその夫の吉岡竜次が自動車事故で死亡したため、遺骨を引き取りに来たのだ。しかし達也は事故に疑問を抱き、独自に調べ始めたことで謎の組織に狙われる。妨害や命を狙われながらも達也は、釜山から慶州・ソウルへ向かい、そして香港へ、ついにはバンコック・スコータイ・チェンマイへ渡り、各地の人々の協力を得て、真相を捜し求めていく。
キャスト
[編集]- 千葉真一 - 和田達也
その他
スタッフ
[編集]製作
[編集]タイの製作会社が資本参加した背景に、「当地で『キイハンター』が放送されており、千葉真一の人気がとても高いからだ」と中島貞夫は述べている[3]。当時の東映では異例の2か月の準備と製作に3か月費やされ、釜山・慶州・ソウル、香港、バンコック・スコータイ・チェンマイなど全編の90%を日本以外の大韓民国・香港・タイ王国でロケーション撮影されている[1][2]。
エンディング間近に和田達也(千葉真一)がダンプカーを運転するシーンのバックで流されている劇伴は、千葉の楽曲「流れ唄」である。オープニングのシンバルロール、吉岡竜次(松方弘樹)がソウルでバスジャックするシーンの太鼓をメインとした劇伴は、1980年からスタートした千葉真一主演『影の軍団シリーズ』の劇伴にも採用されている。
興行
[編集]香港では1972年に、日本では1973年9月15日に封切り公開されたが、香港では千葉真一と苗可秀のキスシーンが収録されるなど[4]、日本・香港・タイ・韓国の公開バージョンは内容が一部異なっている。千葉は苗を「とても大人しくて可愛くていい女」と評している[5]。当初のタイトルは『東京-ソウル-バンコック 追跡三万キロ』であった。
脚注
[編集]- ^ a b 『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』 - 日本映画製作者連盟
- ^ a b “東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯”. 東映チャンネル. 2012年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月5日閲覧。
- ^ 中島貞夫「東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』(初版第一刷)ワイズ出版、2014年10月20日、324頁。ISBN 978-4898302835。
- ^ 1973年のロードショー (雑誌)にも、映画のスチル写真として紹介されている。
- ^ ギンディ小林、市川力夫「『仁義なき戦い』悪人大名鑑」『映画秘宝』第19巻第4号、洋泉社、2013年3月21日、49頁。
関連項目
[編集]- 千葉真一主演で香港との合作作品