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東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東京-ソウル-バンコック
実録麻薬地帯
Tokyo-Seoul-Bangkok Drug Triangle
동경-서울-방콕 추적 삼만킬로
監督 中島貞夫
脚本 高田宏治・中島貞夫
原案 菅原通済
出演者 千葉真一
苗可秀
チャイヤ・スリヤン
金昌淑
松方弘樹
音楽 荒木一郎
撮影 増田敏雄
編集 市田勇
製作会社 日本の旗 東映
タイ王国の旗 タイブリン社
大韓民国の旗 韓国映画人協會
配給 日本の旗 東映
公開 香港の旗 1972年
日本の旗 1973年9月15日
上映時間 104分
製作国 日本の旗 日本香港の旗 イギリス領香港
タイ王国の旗 タイ大韓民国の旗 韓国
言語 日本語広東語タイ語朝鮮語
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東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(とうきょう ソウル バンコック じつろくまやくちたい、Tokyo-Seoul-Bangkok Drug Triangle, 동경-서울-방콕 추적 삼만킬로 )は、1972年日本香港タイ韓国合作映画。主演千葉真一監督中島貞夫製作東映・タイブリン社・韓国映画人協會、カラーシネマスコープ、104分。

概要

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三悪追放キャンペーン」をしていた菅原通済の実体験をベースに映画化され、四か国のトップスターが競演している国際スケールのアクション大作[1][2]。菅原主宰の三悪追放協会は、千葉真一主演映画『麻薬売春Gメンシリーズ』(1972年)に引き続き、本作も全面協力した。日本からは主人公の千葉と敵役松方弘樹香港から苗可秀タイ王国からチャイヤ・スリヤン大韓民国から金昌淑らが、配役された。クエンティン・タランティーノ脚本を担当したアメリカ映画トゥルー・ロマンス』には、本作品のポスターが劇中に登場している。

ストーリー

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ダンプカー運転手・和田達也は、日本からフェリー釜山へ渡航した。韓国で新婚旅行中に、達也の妹・朋子とその夫の吉岡竜次が自動車事故で死亡したため、遺骨を引き取りに来たのだ。しかし達也は事故に疑問を抱き、独自に調べ始めたことで謎の組織に狙われる。妨害や命を狙われながらも達也は、釜山から慶州ソウルへ向かい、そして香港へ、ついにはバンコックスコータイチェンマイへ渡り、各地の人々の協力を得て、真相を捜し求めていく。

キャスト

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その他

スタッフ

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製作

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タイの製作会社が資本参加した背景に、「当地で『キイハンター』が放送されており、千葉真一の人気がとても高いからだ」と中島貞夫は述べている[3]。当時の東映では異例の2か月の準備と製作に3か月費やされ、釜山慶州ソウル、香港、バンコックスコータイチェンマイなど全編の90%を日本以外の大韓民国・香港・タイ王国でロケーション撮影されている[1][2]

エンディング間近に和田達也(千葉真一)がダンプカーを運転するシーンのバックで流されている劇伴は、千葉の楽曲「流れ唄」である。オープニングのシンバルロール、吉岡竜次(松方弘樹)がソウルでバスジャックするシーンの太鼓をメインとした劇伴は、1980年からスタートした千葉真一主演『影の軍団シリーズ』の劇伴にも採用されている。

興行

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香港では1972年に、日本では1973年9月15日に封切り公開されたが、香港では千葉真一と苗可秀のキスシーンが収録されるなど[4]、日本・香港・タイ・韓国の公開バージョンは内容が一部異なっている。千葉は苗を「とても大人しくて可愛くていい女」と評している[5]。当初のタイトルは『東京-ソウル-バンコック 追跡三万キロ』であった。

脚注

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  1. ^ a b 『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』 - 日本映画製作者連盟
  2. ^ a b 東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯”. 東映チャンネル. 2012年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月5日閲覧。
  3. ^ 中島貞夫「東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』(初版第一刷)ワイズ出版、2014年10月20日、324頁。ISBN 978-4898302835 
  4. ^ 1973年ロードショー (雑誌)にも、映画のスチル写真として紹介されている。
  5. ^ ギンディ小林市川力夫「『仁義なき戦い』悪人大名鑑」『映画秘宝』第19巻第4号、洋泉社、2013年3月21日、49頁。 

関連項目

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千葉真一主演で香港との合作作品

外部リンク

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