東京都交通局800形電車
東京都交通局800形電車 | |
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800形824号 | |
基本情報 | |
運用者 | 東京都交通局 |
製造所 |
木南車輌製造 日本鉄道自動車工業[1] |
製造年 | 1947年 - 1948年[1] |
製造数 | 40両[2] |
廃車 | 1968年[3] |
投入先 | 東京都電車 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,372 mm |
電気方式 | 直流600 V(架空電車線方式) |
車両定員 | 64名(24名)[2] |
自重 | 12.8 t[2] |
長さ | 10,600 mm[2] |
幅 | 2,300 mm[2] |
高さ | 3,440 mm[2] |
車体 | 半鋼製[2] |
台車 | D15[2] |
車輪径 | 660 mm[2] |
主電動機出力 | 37.3 kW(一時間定格)[2] |
搭載数 | 2[2] |
駆動方式 | 吊り掛け駆動[2] |
歯車比 | 62:15[2] |
定格速度 | 24.6 km/h[2] |
定格引張力 | 1,060 kg/h[2] |
制御方式 | 直接制御[2] |
制動装置 | 空気(常用)[2] |
東京都交通局800形電車(とうきょうとこうつうきょく800がたでんしゃ)は、1947年(昭和22年)から1968年(昭和43年)まで東京都交通局に在籍した東京都電車(都電)の路面電車車両。
概要
[編集]1942年(昭和17年)に登場し、戦災で8両が失われた半鋼製のボギー電車、700形[4]の増備車として、1947年(昭和22年)から翌年にかけて40両が製造された[2]。製造メーカーは木南車輌製造と日本鉄道自動車工業[1]。
700形の増備として製造されたものの、車体は戦前製造の同形式には存在しなかった側面窓上のウィンドウ・ヘッダー(補強板)が設置され、運転台部分の絞りは廃止されるなどのマイナーチェンジが図られた[5][3]。さらに台車の型式も変更されたことから、製造途中で新たに800形の形式名が与えられ700形として登場した車両も800形の番号に変更された[5][3]。 制御器は三菱電機製のKR-208形制御器が採用された[6]。この制御器は直接制御ながら、DB1系やKR系といった標準的な直接制御器が直列4段・並列4段・制動7段であるのに対し、直列10段・並列8段・制動10段の多段式となっていた[6][注釈 1]。後年標準のKR-8に交換された。[要出典]
運用
[編集]1947年9月1日より3両が営業運転に投入された[5]。この3両は700形としての番号(713・714・725[注釈 2])が付けられていたが、先述した経緯から以後の新造車は800形として竣工[5]。その後、戦災被災車の欠番整理と、戦災復旧車の復帰による番号整理の際に[要出典]初期生産分の3両も(801・802・823)に改番された[5]。
全車が早稲田車庫に配置されたが、急坂の多い39系統の運用に就くことはなく、もっぱら15系統の運用に用いられた[5][3]。一時期、一部の車両が柳島や南千住に転属したが、すぐに早稲田車庫に戻っている[5]。
1965年(昭和40年)7月に815号が事故廃車となり、本形式初の除籍車となった[5]。本格的な廃車は1967年(昭和42)8月から始まり、翌年1月までに全車が廃車となり、15系統廃止を待たずして形式消滅した[3][注釈 3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ただし、制御器上部の鏡板の表示は直列5ノッチ、並列4ノッチ、制動5ノッチ刻みであった[6]
- ^ 番号が飛んでいるのは700形に戦災による廃車が発生していたため
- ^ 15系統および早稲田営業所の廃止は1968年(昭和43年)9月29日
出典
[編集]参考文献
[編集]書籍
[編集]- 『世界の鉄道 1964年版』朝日新聞社・木村庸太郎編集発行、朝日新聞社、1963年9月。
- 林順信『都電が走った町 今昔』JTB〈JTBキャンブックス〉、1996年12月。ISBN 4-533-02619-2。
雑誌
[編集]- 『鉄道ピクトリアル』1995年12月号、第45巻第12号(通巻614号)、鉄道図書刊行会、1995年12月。
- 江本廣一『都電車両主要諸元表』、付録頁。
- 江本廣一『東京市電~都電 車両大全集』、41-61頁。
- 『鉄道ピクトリアル』2000年7月臨時増刊号、第50巻第7号(通巻688号)、鉄道図書刊行会、2000年7月。
- 横山真吾『路面電車の制御装置とブレーキについて』、86-90頁。