東京警備司令部
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東京警備司令部 | |
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創設 | 大正12年(1923年)11月16日 |
廃止 | 昭和12年(1937年)11月30日 |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 司令部(官衙) |
所在地 | 日本 |
編成地 | 東京 |
上級単位 | 天皇直隷 |
担当地域 | 東京 |
東京警備司令部(とうきょうけいびしれいぶ)は、関東大震災により東京とその近辺に行政戒厳が施行され、関東戒厳司令部が設けられ戒厳解除により廃止された際、当分の間ということで設けられた大日本帝国陸軍の司令部(大正12年11月15日勅令第480号東京警備司令部令)。しかし長い間廃止されなかった。
概要
[編集]司令官は、陸軍大将又は陸軍中将で親補職であり、それまで東京衛戍司令官とされていた第1師団長より上位である東京衛戍司令官とされ、警備区域は東京市、荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡、横浜市及び橘樹郡ではあったが、近衛師団や第1師団に対する統率系統はなく、警備上の指揮権を有するのみであった。
司令部は、参謀長、参謀、副官並びに下士及び判任文官の、全部で10人程度の小さな事務所であった。
1932年(昭和7年)に、東京警備司令部は大規模な防空演習を計画し、翌年8月に関東防空演習を実施した[1]。この演習と一体となる民間の防空訓練のためには、防災団体として東京に作られたばかりの防護団が用いられた[1]。
1935年(昭和10年)から新たに設けられた東部防衛司令部を兼ねた。1937年(昭和12年)に東部防衛司令部の編制が官衙から軍隊に改められた際、東京警備司令部は廃止された。
歴代東京警備司令官
[編集]- 山梨半造 大将:大正12年(1923年)11月16日 - 大正13年(1924年)8月20日
- (兼)菊池慎之助 大将:大正13年(1924年)8月20日 - 大正15年(1926年)3月2日
- (兼)武藤信義 大将:大正15年(1926年)3月2日 - 大正15年(1926年)7月28日
- 磯村年 中将:大正15年(1926年)7月28日 - 昭和3年(1928年)8月10日
- 岸本鹿太郎 中将:昭和3年(1928年)8月10日 - 昭和4年(1929年)8月1日
- 長谷川直敏 中将:昭和4年(1929年)8月1日 - 昭和5年(1930年)12月22日
- 林弥三吉 中将:昭和5年(1930年)12月22日 - 昭和7年(1932年)2月29日
- 木原清 中将:昭和7年(1932年)2月29日 - 昭和8年(1933年)3月18日
- 林仙之 中将:昭和8年(1933年)3月18日 - 昭和9年(1934年)3月5日
- 西義一 中将:昭和9年(1934年)3月5日 - 昭和9年(1934年)11月28日
- 西義一 大将:昭和9年(1934年)11月28日 - 昭和10年(1935年)12月2日
- 香椎浩平 中将:昭和10年(1935年)12月2日 - 昭和11年(1936年)4月2日
- 岩越恒一 中将:昭和11年(1936年)4月2日 - 昭和12年(1937年)8月2日
- 中村孝太郎 中将:昭和12年(1937年)8月2日 - 昭和12年(1937年)11月30日(廃止)
歴代東京警備参謀長
[編集]- 秦真次 大佐:大正12年(1923年)11月17日 - 大正15年(1926年)3月2日
- 中岡弥高 大佐:大正15年(1926年)3月2日 - 昭和3年(1928年)5月30日
- 宇佐美興屋 大佐:昭和3年(1928年)5月30日 - 昭和4年(1929年)8月1日
- 橋本虎之助 大佐:昭和4年(1929年)8月1日 - 昭和6年(1931年)8月1日
- 島省三 少将:昭和6年(1931年)8月1日 - 昭和8年(1933年)3月18日
- 尾高亀蔵 少将:昭和8年(1933年)3月18日 - 昭和10年(1935年)8月1日
- 安井藤治 少将:昭和10年(1935年)8月1日 - 昭和12年(1937年)8月2日
- 吉本貞一 少将:昭和12年(1937年)8月2日 - 昭和12年(1937年)11月30日(廃止)
関連項目
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 山本唯人「防空消防の展開と民間消防組織の統合過程 防空体制の形成と都市化」、『日本都市社会学会年報』第17号、1999年。
外部リンク
[編集]- 東京警備司令部令(中野文庫) - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)