東京丸 (郵便汽船三菱)
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東京丸 | |
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基本情報 | |
船種 | 木造外輪汽船 |
船籍 |
アメリカ合衆国 日本 |
所有者 |
Cornelius Vanderbilt Atlantic & Pacific Mail S.S. Atlantic Mail S.S. Pacific Mail S.S. 大蔵省 三菱汽船 郵便汽船三菱会社 日本郵船 |
運用者 |
Cornelius Vanderbilt Atlantic & Pacific Mail S.S. Atlantic Mail S.S. Pacific Mail S.S. 大蔵省 三菱汽船 郵便汽船三菱会社 日本郵船 |
建造所 | Jeremiah Simonson & Co. |
母港 |
東京港/東京都 1875年時:横浜港[1] |
建造費 | 購入金額:洋銀250,000ドル[1] |
信号符字 | HBDL[1] |
IMO番号 | 旧372→1(※船舶番号) |
改名 | New York→東京丸 |
経歴 | |
進水 | 1864年 |
要目 | |
総トン数 | 2,217トン[2] (2,217.43トン[1]) |
長さ |
89.18m[3] または292 ft 6 in (89.15 m)[1] |
幅 |
12.7m[2] または41 ft 7 in (12.67 m)[1] |
深さ | 8.0m |
主機関 | 直立ビーム汽機[2] |
推進器 | 外輪[1] |
出力 |
1,800指示馬力[2] 280実馬力[3][注釈 1] |
速力 |
13.0ノット[2] 13.5ノット[3] |
その他 |
2檣スクーナー型[1] 船材:木[1] |
東京丸(とうきょうまる)は台湾出兵時に日本政府が購入し、のちに郵便汽船三菱会社、日本郵船所属となった木造外輪船[4]。
船歴
[編集]「東京丸」は、台湾出兵時の軍事輸送に用いるために日本政府が1874年5月から1875年3月にかけて13隻購入した船の内の1隻である[5]。「東京丸」は1874年に購入された[2]。前身は1864年にニューヨークのジェレマイア・シモンソン社で建造された「ニューヨーク」で、所有者はヴァンダービルト、アトランティック&パシフィック汽船会社、アトランティック・メイル汽船会社、パシフィック・メイル汽船会社とかわっている[2]。
13隻の運航は三菱汽船会社に委託され、1875年1月に上海航路開設が命じられると三菱は「東京丸」他3隻を就航させた[6]。「東京丸」は第一船として2月3日に横浜を出港し11日に上海に到着している[2]。同年9月、13隻は三菱に払い下げられた[2]。また同月、三菱汽船会社は郵便汽船三菱会社と改称された[7]。
「東京丸」は1883年まで上海航路で運航された[2]。1885年に郵便汽船三菱会社は共同運輸会社と合併して日本郵船となり、「東京丸」も日本郵船に継承された[8]。1886年5月17日、海軍省に売却[9]。小野浜造船所でハルクに改造され[10]、江田島に移転した海軍兵学校の仮校舎として1888年から[11]1893年まで使用された[10]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ #M10公文類纂/東京丸他38隻信号符字点付コマ11によると350馬力。実馬力か名馬力かは明示されていない。
出典
[編集]参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター
- 防衛省防衛研究所
- 「往出445 東京丸外38艘信号符字点付の件東京府え通牒」『公文類纂 明治10年 前編 巻14 本省公文 艦船部』1877年3月12日、JACAR:C09112329000。
- 防衛省防衛研究所
- 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』世界の艦船・別冊、海人社、1984年、ISBN 4-905551-19-6
- 日本郵船株式会社(編)『七十年史』日本郵船、1956年
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年12月。ISBN 4-584-17054-1。
- 茂在寅男「東京丸」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク(2023年5月28日閲覧)
- 山田廸生「名船発掘153 東京丸 わが国初の海外定期航路(横浜~上海)の第1船となる」