来遠橋
来遠橋(らいえんばし、ベトナム語:Lai Viễn Kiều / 來遠橋)、または日本橋(にほんばし、ベトナム語:Cầu Nhật Bản / 橋日本)とは、ベトナムのホイアン旧市街にある石橋である。
概要
[編集]旧市街地そのものが世界文化遺産である、ベトナム・クアンナム省のホイアン旧市街、チャンフー通りとグエン・チ・ミンカイ通りを結ぶ場所に位置する。幅3m、長さ18mの瓦屋根付きの太鼓橋で、1593年に日本人が橋を架け、当時の日本人町と中華街を結んでいたとされる。現代のベトナム語では Chùa Cầu(橋寺)とも呼ばれ、その名が示す通り、橋の中に祠が設けられている。
橋の名前は、1719年に広南国王の阮福淍が論語の「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」から名付けたとされる。申年に建築が始まり戌年に終わったことから、橋の両端には申と戌の木像がある。
世界遺産ホイアンの観光名所として、橋の中央部にある祠への入場は有料チケット制となっているが、橋の通行のみであれば無料である。橋の入り口には高さのある敷居が設置されており、自動車やシクロの通行は出来無いが、自転車やオートバイなら引いての通行が可能であり、現在でも市民が日常生活に利用している。
歴史
[編集]ホイアンは16世紀半ばより、広南国の外港として、日本・明・ポルトガルなど各国との貿易で栄えた。特に日本は、江戸時代に鎖国政策が始まるまで、江戸幕府が発行した354通の朱印状のうち、1⁄4にあたる86通が、ホイアンとの貿易を許可するものであった程に交易が盛んで[1]、多くの日本人がホイアンに移住していた。
しかしその後は、江戸幕府の鎖国、オランダ商館の閉鎖、清・台湾鄭氏の遷界令、西山党の乱などの人的要因と、トゥボン川(秋盆江)の堆積による自然要因で、19世紀には、その地位をダナンに譲り、街も衰退した。しかしそれゆえに、ホイアンはベトナム戦争の戦火を生き延びた。
現在の来遠橋は、1986年に修復されたものである[2]。ホイアン市は老朽化した橋の修復のため、JICA協力のもと修復作業開始の式典を2022年12月28日に行った[3]。
文化
[編集]2006年発行の2万ドン紙幣の裏面には、来遠橋が描かれている。
外部リンク
[編集]- hoian.vn 現地観光案内サイト。
関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ 伊藤千尋. 観光コースでないベトナム 歴史・戦争・民族を知る旅. 高文研. pp. 131-133. ISBN 4-87498-167-4
- ^ Lonely Planet Vietnam PDF e-book 12th editioin. Lonely Planet Publications Pty Ltd.. p. 198. ISBN 978-1-74220-582-3
- ^ ベトナムの「日本橋」 修復に向け記念式典