村野晃一
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村野 晃一(むらの こういち、1937年9月30日 - )は、日本の経営者。セイコーホールディングス(現在のセイコーグループ)9代目社長を務めた。父は詩人の村野四郎[1]。
経歴
[編集]東京都出身[2]。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に服部時計店(現在のセイコーグループ)に入社[2]。。1985年に取締役に就任し、1989年に常務、1995年6月に専務、1997年6月に副社長を経て、2001年6月に社長に就任[2]。2010年4月に社長を解任され、取締役に退いた[3]。解任理由について服部真二新社長は、大株主の服部礼次郎と、その元秘書で腹心だった鵜浦典子取締役の意向に逆らえず、独断的な経営に陥って合理的な判断ができなかったと説明した[4][5]。
著書
[編集]- 『飢えた孔雀 父、村野四郎』(慶応義塾大学出版会、2000年)
脚注
[編集]- ^ “村野 晃一の書籍一覧 - honto”. honto.jp. 2023年2月13日閲覧。
- ^ a b c 人事興信所 2009, む41頁.
- ^ セイコーHD、「独断的」と社長解任 服部副社長が社長に2010年 4月30日 日本経済新聞
- ^ セイコーHD社長解任 「古い体質改める」日本経済新聞、2010年4月30日
- ^ 『亀裂 創業家の悲劇』(高橋篤史)講談社2022、p138
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第45版 下』人事興信所、2009年。
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