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村野守治

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村野 守治(むらの もりじ[1]、村野 守次[2]1912年(明治45年)1月9日[1]-1989年(平成元年)3月23日[1][3])は、日本歴史学者。専門は日本近代史[1]明治維新[1][2]鹿児島県の郷土史[1]鹿児島女子短期大学教授[1][2][3][4]西郷隆盛研究の第一人者だった[1]

人物

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鹿児島県鹿児島市生まれ[4]。1930年(昭和5年)旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)卒業[3][5]。1934年(昭和9年)旧制第七高等学校造士館卒業[3]。1938年(昭和13年)[1][3]東京帝国大学文学部国史学科卒業[1][3][4]。同年5月より[3]文部省維新史料編纂事務局[1][4]嘱託[3]。大日本青少年団本部文化部を経て[3][4]、帰郷し1944年(昭和19年)5月に[3]母校・第二鹿児島中学校の教諭となる[1][3]。学制改革により1949年4月に鹿児島県甲南高等学校(後に改称し鹿児島県立甲南高等学校)が発足し、引き続き教諭を務める[1][3]。1961年(昭和36年)4月より鹿児島県立甲南高等学校教頭を務めた後[3]、1966年(昭和41年)4月から鹿児島県立加世田高等学校校長[3]、1969年(昭和44年)4月から[3]鹿児島県立加治木高等学校校長[3][6]、1971年(昭和46年)4月から[3]鹿児島県立甲南高等学校校長[2][3][4]、1972年(昭和47年)4月から[3]鹿児島県立青少年研修センター所長[3][4]を歴任して、1975年(昭和50年)3月に県の教職員を退職[3]

1976年(昭和51年)から4年間、鹿児島経済大学(現・鹿児島国際大学)非常勤講師[3]。並行して鹿児島女子短期大学非常勤講師を経て[3]、1977年(昭和52年)4月から1985年(昭和60年)3月まで鹿児島女子短期大学教授に任じられる[1][3]。教授職の間、同短大の図書館長や教養学科長も務めた[3]。教授退職後も再び鹿児島女子短期大学で非常勤講師として教える[3]。その他、鹿児島県文化財保護審議委員も務めた[4]。1983年(昭和58年)に鹿児島県から県民表彰(教育文化部門)を受ける[3]。主な編著書に『島津斉彬のすべて』『西郷隆盛全集』『鹿児島市のおいたち』、監修書に『鹿児島県教育史』がある[1]環境学者の村野健太郎は息子[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「村野 守治」『郷土史家人名事典 地方史を掘りおこした人々』日外アソシエーツ、2007年12月、449頁。ISBN 9784816920806 
  2. ^ a b c d e 「かごしま人紀行(連載)」『南日本新聞』1999年10月24日、朝刊、5面。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 満江巌「村野守次の人と業績」『敬天愛人』第7号、財団法人西郷南洲顕彰会、1989年9月24日、250-269頁。 
  4. ^ a b c d e f g h 著者紹介 - 村野守治 編『島津斉彬のすべて 新装版』新人物往来社、2007年。ISBN 9784404035059 
  5. ^ 『甲南 第35号 創立八十周年記念特集号』鹿児島県立甲南高等学校、1987年、253-256頁。 
  6. ^ 南日本新聞社 編『郷土人系 中』春苑堂書店、1969年、134頁。