コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

村田透

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村田 透
フロシ・ブルノ #20
巨人時代
(2009年8月16日 四日市霞ヶ浦球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府泉南郡熊取町
生年月日 (1985-05-20) 1985年5月20日(39歳)
身長
体重
183 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目
初出場 MLB / 2015年6月28日
NPB / 2017年4月2日
最終出場 MLB / 2015年6月28日
NPB / 2021年10月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴

村田 透(むらた とおる、1985年5月20日 - )は、大阪府泉南郡熊取町出身のプロ野球選手投手)。右投左打。チェコ・エクストラリーガフロシ・ブルノチェコ語版所属。

経歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

小学4年の時に野球を始め、当初は外野手だったが投手に転向。大阪体育大学浪商高等学校時代は1年秋からエースとして秋季近畿大会でベスト8に進出、翌年の第74回選抜高等学校野球大会に出場して1勝を挙げた。

大阪体育大学進学後は肘・肩の痛みに悩まされたが、3年時の全日本大学野球選手権大会では5試合全てで抑え投手として起用され、18回2/3を投げて初優勝に貢献。自身も4勝0敗・防御率0.48の成績を挙げて大会MVPを受賞した[1]。大学通算13勝10敗。

2007年2月に右足首の靭帯を切断・手術し、大半をリハビリに費やすことになったが、11月19日の大学生・社会人ドラフト会議で、大場翔太篠田純平を抽選で外した読売ジャイアンツから1巡目で指名された。ドラフト1位指名を受けた大体大の選手は2013年時点で3人いるが、巨人からの指名は上原浩治1998年)に続き2人目。11月26日に契約金8000万円、年俸1200万円(推定)[1]で仮契約。背番号は36で、これには「半分の18(エースナンバー)を目指せ」という原辰徳の期待が込められていた。

巨人時代

[編集]

2008年は一軍登板がなく、二軍でも9試合の登板で0勝2敗、防御率7.82、WHIP1.66の成績に終わった。

2009年には移籍してきたM.中村36をつけることになり、背番号を46に変更。この年も一軍登板はなく、二軍では26試合の登板で2勝4敗、防御率3.98、WHIP1.69の成績を残した。

2010年も一軍登板は果たせず、二軍での登板も6試合に終わり、10月2日に戦力外通告を受けた。ドラフト1位入団ながら3年で戦力外となり、11月10日に開催された12球団合同トライアウトに参加。

インディアンス時代

[編集]
MLB・インディアンス時代
2015年6月28日

2010年12月18日に、トライアウトでの活躍がクリーブランド・インディアンスのスカウトの目に止まりマイナー契約を結んだ[2]

2011年はA+級キンストン・インディアンスで開幕を迎え、5先発を含む22試合に登板し、3勝2敗2セーブ、防御率2.36、WHIP0.93の成績を残し、チームのプレーオフ出場に貢献。オフはパナマウィンターリーグに参加しロネロス・デ・チリキに所属[3]。8試合の登板で防御率2.71、WHIP0.99の成績を残し、オールスターゲームにも選出された。

2012年はAA級アクロン・エアロズで開幕を迎え、4月20日にAAA級コロンバス・クリッパーズに昇格したが、24日にアドバンスドA級カロライナ・マドキャッツに降格。5月7日にアクロンに再昇格し、6月28日にコロンバスに再昇格するも、7月2日にアクロンに再降格。コロンバスでは2試合の登板で5失点を喫するも、アクロンでは8先発を含む23試合の登板で3勝1敗、防御率2.66、WHIP1.18の成績を残しチームの地区優勝に貢献。ポストシーズンでは2試合に先発し、12回1/3を投げて2失点の好投でチームのチャンピオンシップシリーズ制覇に貢献。オフはベネズエラのウィンターリーグに参加するが、5試合の登板で防御率6.06、WHIP1.84の成績を喫する。

2013年、AA級アクロンで開幕を迎える。4月29日にAAA級コロンバスに昇格するが、4試合に先発し0勝2敗、防御率6.10、WHIP1.74を喫し、5月17日にアクロンに降格。6月16日にコロンバスに再昇格するが、1試合に先発した後再降格。アクロンでは23試合の先発で6勝6敗、防御率4.19、WHIP1.25の成績を残す。オフは前年に続きベネズエラのウィンターリーグに参加。

2014年もAA級アクロンで開幕を迎えたが4月9日にAAA級コロンバスに昇格し、25日にAA級に降格。5月31日にAAA級に再昇格し、6月1日にAA級に再降格。7月3日にAAA級に再昇格し、24日のAAA級ルイビル・バッツ戦でAAA級での初勝利を挙げるが翌日AA級に再降格。8月3日にAAA級へ再昇格するがその後も9日まで昇降格を繰り返しAAA級でシーズンを終え、チームはプレーオフに進出。コロンバスでは12先発を含む14試合の登板で5勝3敗、防御率5.38、WHIP1.38の成績を残す。オフはベネズエラのウィンターリーグに参加した。チームはリーグ優勝を果たしカリビアンシリーズ出場を決めたが、出場せずに帰国した[4]

2015年、AAA級コロンバスで開幕を迎え、6月22日までに13先発を含む14試合の登板で5勝3敗、防御率2.79、WHIP1.22の成績を残す。6月23日にスコット・アッチソンのDFAにより40人枠に1人空きができたこと、および6月27日にインディアンスとボルチモア・オリオールズの試合が雨で中止となり翌28日がダブルヘッダーとなったため、ダブルヘッダーに伴い25人ロースターから登録人数が1人増える特例によりメジャー契約となり、40人枠に入った当日にオリオールズとのダブルヘッダー第2試合で先発登板したが、3回1/3を投げ被安打4、失点5(自責点3)で敗戦投手となった[5]。翌29日にマイナー・オプションを行使されAAA級に降格し、7月31日に40人枠から外れた。AAA級では26先発を含む27試合の登板で15勝4敗、防御率2.90、WHIP1.17の成績を残し、インターナショナルリーグの最多勝に輝いた[6]。オフの12月9日に翌年もインディアンスと契約することをブログで公表した[7]

2016年、AAA級では10先発を含む33試合の登板で9勝4敗4セーブ、防御率3.78の成績だったが、メジャー再昇格はかなわなかった。11月18日に自由契約となった[8]

日本ハム時代

[編集]

2016年11月18日に北海道日本ハムファイターズとの契約合意が発表された[9]

2017年4月2日の対埼玉西武ライオンズ戦の5回表一死一・三塁の場面で救援登板しNPB一軍初登板を果たしたが、その初球がボークと判定されたために、三塁走者の得点を許してしまった。6月11日、古巣の読売ジャイアンツ戦で5回6安打1失点で一軍初勝利を果たした。MLBからプロ野球に復帰して一軍初勝利を挙げたのは、村上雅則以来51年ぶりの出来事である[10]

2018年は、先発ローテーションの谷間で登板し、防御率3点台、6勝を挙げ、右肩上がりの成績でシーズンを終えた。

2019年、右肘痛や腰痛で出遅れたこともあり[11]、7月3日に一軍に昇格する[12]。先発登板は4試合にとどまり、未勝利に終わった。

2020年は先発登板1試合を含む21試合に登板。9月10日のロッテ戦では2年ぶりの勝利投手となった。5ホールド、6HPを挙げるなどしたが、12月2日に自由契約公示され、退団が発表された[13]。しかし、状況は一転し、12月30日に推定年俸1600万で再契約が発表された[14]

2021年、8試合に登板し、防御率9.31を記録[15]。11月2日に退団が発表された[16]

日本ハム退団後

[編集]

2021年12月8日開催の12球団合同トライアウトに参加し、被安打2、奪三振1を記録[17]。年が明けてもオファーは届かなかったが、海外でのプレーを含めて現役続行を目指し、地元大阪に戻って自主トレーニングに励んでいる[18]。自主トレーニングの様子はYouTubeチャンネル「トクサンTV」でも取り上げられた[19]

2022年10月20日、ABLオークランド・トゥアタラと契約を結んだことが発表された[20][21]

2023年6月、ドイツの野球リーグであるブンデスリーガボン・キャピタルズに入団した[22][23]

2023年-2024年シーズンは、ABLのアデレード・ジャイアンツでプレーする[24]

2024年3月、チェコ・エクストラリーガフロシ・ブルノチェコ語版と契約を結んだことが発表された[25]

選手としての特徴・人物

[編集]

最速93mph(約150km/h)[26]速球を投じる。渡米後は打者の手元で動くムービングボールを武器としている[27]。変化球はスライダーカットボールツーシームフォークなど多彩に操る[28][29]

2010年に北海道日本ハムファイターズからメジャー挑戦を表明し、FA権を行使して渡米した建山義紀はアメリカでの自主トレーニングのパートナーであり[30]、後に村田は、建山の古巣である日本ハムに入団した。

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
2015 CLE 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 16 3.1 4 2 1 0 0 2 0 0 5 3 8.10 1.50
2017 日本ハム 15 8 0 0 0 1 2 0 0 .333 225 52.0 43 4 27 0 4 39 3 2 18 16 2.77 1.35
2018 18 14 0 0 0 6 3 0 0 .667 319 77.0 70 5 18 0 5 45 1 0 32 28 3.27 1.14
2019 13 4 0 0 0 0 2 0 2 .000 138 34.0 32 4 5 0 2 23 0 0 15 12 3.18 1.09
2020 21 1 0 0 0 1 1 0 5 .500 161 38.0 38 3 12 0 3 23 0 0 16 15 3.55 1.32
2021 8 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 53 9.2 18 1 9 0 0 5 1 0 10 10 9.31 2.79
MLB:1年 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 16 3.1 4 2 1 0 0 2 0 0 5 3 8.10 1.50
NPB:5年 75 27 0 0 0 8 8 0 7 .500 896 210.2 201 17 71 0 14 135 5 2 91 81 3.46 1.29
  • 2023年度シーズン終了時

年度別守備成績

[編集]


投手












2015 CLE 1 0 1 0 0 1.000
2017 日本ハム 15 2 4 1 0 .857
2018 18 7 14 0 4 1.000
2019 13 2 9 0 1 1.000
2020 21 2 8 0 1 1.000
2021 8 0 1 0 0 1.000
MLB 1 0 1 0 0 1.000
NPB 75 13 36 1 6 .980
  • 2023年度シーズン終了時

記録

[編集]

MLB

[編集]
初記録

NPB

[編集]
初記録
投手記録
打撃記録

ウィンターリーグでの投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
2012-2013 マガリャーネス 5 4 0 0 0 0 0 0 -- ---- 80 16.1 26 3 4 0 1 9 0 0 13 11 6.06 1.84
2013-2014 カリベス 5 5 0 0 0 0 0 0 -- ---- 93 22.2 24 1 3 0 0 15 3 0 7 6 2.38 1.19
2014-2015 5 5 0 0 0 0 3 0 -- .000 95 22.2 21 1 8 1 0 18 2 0 10 9 3.57 1.28
2016-2017 マガリャーネス 5 4 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 67 14.0 17 1 6 0 3 12 2 1 10 10 6.43 1.64
通算:4年 20 18 0 0 0 1 3 0 -- .250 335 75.2 88 6 21 1 4 54 7 1 40 36 4.28 1.44

背番号

[編集]
  • 36(2008年)
  • 46(2009年 - 2010年)
  • 61(2015年)
  • 31(2017年 - 2021年)
  • 18(2023年)
  • 20(2024年 - )

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『プロ野球カラー名鑑 2008』ベースボール・マガジン社、2008年、15頁。ISBN 978-4-583-61526-4 
  2. ^ 巨人戦力外の村田がインディアンスとマイナー契約」『報知新聞』2010年12月18日。2010年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月18日閲覧
  3. ^ ラテンアメリカシリーズ/パナマリーグ紹介」『阿佐智の「アサスポ・ワールド・ベースボール」』2014年2月1日。2021年1月5日閲覧
  4. ^ 次のチャレンジへ」『村田透オフィシャルブログ「村田透のおもんない話」』2015年2月4日。2015年6月30日閲覧
  5. ^ 元巨人村田、メジャーデビュー4回途中5失点KO「感極まった」」『スポーツ報知』2015年6月30日。2015年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月30日閲覧
  6. ^ 元巨人の村田透が3Aで最多勝 日本選手初タイトル」『日刊スポーツ』2015年9月8日。2015年9月12日閲覧
  7. ^ 2016年シーズンについて」村田透オフィシャルブログ「村田透のおもんない話」2015年12月9日。2015年12月27日閲覧
  8. ^ MLB公式プロフィール参照。2017年1月12日閲覧。
  9. ^ 村田透 日本ハムと契約合意「気持ち高ぶり すぐにでもユニに袖を」」『スポニチアネックス』2016年11月18日。2016年11月18日閲覧
  10. ^ 日本ハム村田涙、古巣からプロ初勝利「長い道のり」」『日刊スポーツ』2017年6月12日。2017年11月18日閲覧
  11. ^ 日本ハム村田透2軍戦で今季初先発「早く1軍に」」『日刊スポーツ』2019年6月8日。2019年11月28日閲覧
  12. ^ オリックス・モヤら登録、広島長野ら抹消/3日公示」『日刊スポーツ』2019年7月3日。2019年11月28日閲覧
  13. ^ 日本ハム・村田とマルティネスが退団」『SANSPO.COM(サンスポ)』2020年12月2日。2020年12月30日閲覧
  14. ^ 日本ハムが村田と再契約 2400万減の1600万」『日刊スポーツ』2020年12月30日。2020年12月30日閲覧
  15. ^ 村田透が日本ハム退団 米国経てプレー、来季へも「準備」 鶴岡コーチ兼任捕手も」デイリースポーツ、2021年11月2日。2021年11月3日閲覧
  16. ^ 日本ハム鶴岡慎也が退団「現役の道模索したい」村田透「来シーズンへ準備」」日刊スポーツ、2021年11月2日。2021年11月3日閲覧
  17. ^ 【トライアウト】参加者最年長の日ハム村田透 ムービングボールでアピール」『日刊スポーツ』2021年12月8日。2022年7月5日閲覧
  18. ^ 元日本ハム村田透「動ける準備しています」NPBや海外も含めオファー待つ」『日刊スポーツ』2022年1月18日。2022年7月5日閲覧
  19. ^ 元巨人ドラフト一位のあの男が投げた…本気のまっスラ!マジで消えた。 - YouTube
  20. ^ 元日本ハム・村田透も豪州リーグ入り 元巨人・陽岱鋼と11・10開幕戦で対戦の可能性」『Full-Count』2022年10月20日。2022年12月23日閲覧
  21. ^ 久保賢吾「元日本ハム村田透がオーストラリアでプレーへ「チャンスを与えてくれて感謝」陽岱鋼と対戦も」『日刊スポーツ』2022年10月23日。2022年12月23日閲覧
  22. ^ Toru Murata [@toru_murata520] (2023年6月9日). "まず始めにドイツリーグのBonn Capitalsと契約しました。". Instagramより2022年6月10日閲覧
  23. ^ 元日本ハム村田透がドイツ球団入り、ブンデスリーガ所属ボン・キャピタルズ すでに実戦にも登板」日刊スポーツ、2023年6月10日。2023年6月10日閲覧
  24. ^ Toru Murata [@toru_murata520] (2023年11月16日). "報告が遅くなりましたがオーストラリアリーグ、アデレードジャイアンツと契約してもらいました。". Instagramより2023年11月18日閲覧
  25. ^ 斎藤直樹「元巨人の村田透がチェコリーグのフロシ・ブルノと契約「今からワクワクが止まりません(笑)」」『日刊スポーツ』2024年3月6日。2024年4月28日閲覧
  26. ^ 終了」村田透オフィシャルブログ「村田透のおもんない話」2011年9月17日。2021年11月2日閲覧
  27. ^ もう1つの「雑草魂」 日本ハム・村田透が目指す夢 | 野球コラム」『週刊ベースボールONLINE』2018年4月7日。2022年4月21日閲覧
  28. ^ 【トライアウト】日本ハム村田透が攻める投球 ムービングボールでアピール」『日刊スポーツ』2021年12月8日。2022年4月21日閲覧
  29. ^ 村田透選手(北海道日本ハムファイターズ)がプロ初先発 | 大阪体育大学 DASH」『大阪体育大学 DASH公式サイト』2017年4月26日。2022年4月21日閲覧
  30. ^ 建山氏、ハム入団の村田に「不思議な縁」 「必ず好影響及ぼす」と"予言"」Full-Count、2016年11月19日。2021年11月3日閲覧

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]