村瀬庫次
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村瀬 庫次(むらせ くらじ、1866年7月7日(慶応2年5月25日[1]) - 1921年(大正11年)5月2日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
[編集]尾張国丹羽郡小折村(のち愛知県丹羽郡布袋町、現・江南市)出身[1]。漢学を学ぶ[1][2]。実業界に身を投じ、愛北物産(資)社長[1][2]、名古屋米商会所肝煎、(株)鉄道車両製造所取締役、(株)名古屋商品取引所理事長、(株)丹葉銀行副頭取、丹羽郡所得税調査委員となる[1][2]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において愛知4区から無所属で立候補して当選する[3]。1898年8月の第6回衆議院議員総選挙では日吉俱楽部公認で立候補して当選した[4]。衆議院議員を2期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙で落選した[5]。1921年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。