村松軌道
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村松軌道 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 茨城県 |
起点 | 石神 |
終点 | 阿漕 |
停留所数 | 3箇所 |
開業 | 1926年4月24日 |
廃止 | 1933年2月13日(許可日) |
運営者 | 村松軌道 |
路線諸元 | |
路線距離 | 3.8 km |
軌間 | 762 mm |
線路数 | 単線 |
電化方式 | 非電化 |
停車場・施設・接続路線(廃止当時) | ||||||||||||||||||||||||
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村松軌道(むらまつきどう)は、かつて茨城県那珂郡石神村および同郡村松村(いずれも現・東海村)に存在した軌道路線およびその運営会社である。
概要
[編集]石神村の鉄道省常磐線石神駅(現・東海駅)から村松村にある村松虚空蔵尊への参拝客を輸送する計画であり、鉄道計画の発起人総代が当時の村松虚空蔵尊の住職であった。しかし開業直後に襲った世界恐慌の影響と、すでに1921年(大正10年)9月から石神乗合バスが石神駅 - 村松宿間で1日10往復しており[1]、村松虚空蔵尊の門前まで乗り入れるバスに対し不利で開業時から苦しい経営が続くことになる。結局、開業からわずか7年後の1933年(昭和8年)2月15日に廃止された。最終的に現場職員が2名だったという。
歴史
[編集]- 1923年(大正12年)6月18日 村松軌道に対しガソリン自動車軌道特許状下付(那珂郡石神村-同郡村松村間)[2]。
- 1924年(大正13年)3月31日 村松軌道株式会社設立(本社東京市)[3]
- 1926年(大正15年)4月24日 石神 - 阿漕間が開業[4]。
- 1933年(昭和8年)
停留所一覧
[編集]接続路線
[編集]事業者名は廃止時点のもの
輸送・収支実績
[編集]年度 | 輸送人員(人) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) |
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1926 | 29,240 | 4,660 | 7,342 | ▲ 2,682 | 寄付金3,000(村松虚空蔵尊[6]) |
1927 | 19,497 | 2,435 | 8,849 | ▲ 6,414 | |
1928 | 16,178 | 11,892[7] | 6,613 | 5,279 | |
1929 | 10,237 | 1,423 | 2,490 | ▲ 1,067 | |
1930 | 12,465 | 1,857 | 3,482 | ▲ 1,625 | |
1931 | 4,497 | 675 | 1,993 | ▲ 1,318 |
- 鉄道統計資料各年度版
車両
[編集]軌道特許時は矢沼商店[8]の自動鉄道[9]を考えていたが動力を蒸気に変更している。
開業にあたり遠州電気鉄道(遠州鉄道の前身の一つ)の蒸気機関車2両、無蓋貨車10両と上信電気鉄道(上野鉄道)の客車2両を購入。貨車は村松砂丘の砂採取用で関東大震災後の復興需要を見込んだものであったが、保安林であることから監督官庁の認可が下りず目論みは外れてしまった[10]。
脚注
[編集]- ^ 吉田明雄「虚空蔵尊詣りで見たもの」『トワイライトゾーンMANUAL13』ネコパブリッシング、2004年、21頁
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1923年6月23日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道統計資料. 昭和元年』 - 国立国会図書館デジタルコレクション。なお、本資料では「松村軌道株式会社」となっている
- ^ 「軌道起業廃止許可」『官報』1933年2月15日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『茨城の民営鉄道史』196頁
- ^ 雑収入9,805含む
- ^ 『官報』1919年11月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)矢沼商店の広告
- ^ 『運輸五十年史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 中川浩一『茨城の民営鉄道史』筑波書林、1981年、199頁