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村松以弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

村松 以弘(むらまつ いこう、安永元年(1772年) - 天保10年(1839年)は江戸時代後期の南画家歌人

名は維孝、は以弘。 は笠斎・小笠山房主人など。通称は奥五郎。遠州掛川 十九首の生まれ。

略伝

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幼少より絵を描くことが好きだったので、伊勢の僧・月僊に学び、長じると江戸に出て谷文晁の画塾・写山楼に入門した。文晁が東海道を往来するとき、以弘の家に滞在したという。渡辺崋山にも画の指導を受けている。画力を認められ、時期は不明だが掛川藩御用絵師となった。同藩の儒者・松崎慊堂と交流した。

門下に福田半香平井顕斎村松弘道・僧思玄尊永寺住持)・小栗松靄浜松庄屋)などがいる。

作品

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作品名 技法 形状・員数 所有者 年代 落款・落款 備考
白糸瀑図 紙本著色 1幅 掛川市二の丸美術館 静岡県指定文化財
青緑董法山水図 掛川市二の丸美術館 1817年(文化14年) 掛川市指定文化財
菊花小禽図 掛川市二の丸美術館
唐美人図 掛川市二の丸美術館
唐山水図巻 常葉美術館 1836年(天保7年)
秋草図扇面 常葉美術館
龍図・天井絵 水川阿弥陀堂(榛原郡川根本町水川) 町指定文化財
伊豆沿岸真景図 1810年(文政7年)

参考文献

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  • 図録「幕末 — 明治の画家たち 郷土の文人画」掛川市二の丸美術館 平成13年
  • 図録「渡辺崋山と弟子たち」田原市博物館 2004年