村岡豊
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村岡 豊 | |
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生誕 |
1891年9月15日 日本 京都府 |
死没 | 1976年4月18日(84歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
村岡 豊(むらおか ゆたか、1891年(明治24年)9月15日[1] - 1976年(昭和51年)4月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1891年(明治24年)に京都府で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期、陸軍大学校第32期卒業[1]。1936年(昭和11年)3月に野戦砲兵第7連隊長に就任し[2]、8月に陸軍砲兵大佐に進級した[2]。1938年(昭和13年)に陸軍工科学校幹事を経て[2]、1939年(昭和14年)3月に関東軍野戦兵器廠長に就任し[2]、8月には陸軍少将に進級[2]。
1941年(昭和16年)3月に第1独立砲兵団長に転じ[1]、6月に陸軍砲工学校附[1]、8月に陸軍科学学校幹事[1]、1942年(昭和17年)に東部軍砲兵隊長を歴任[1]。1943年(昭和18年)に第8砲兵司令官に転じ[1]、1944年(昭和19年)6月10日に陸軍中将に進級し[2]、6月21日に第103師団長に親補される[1]。フィリピン・ルソン島に出征[1]。米軍との戦闘に敗れ飢餓に苦しむ中、最後まで抗戦した[1]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[3]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。