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村井善四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村井善四郎

村井 善四郎(むらい ぜんしろう、1871年5月3日明治4年3月14日[1] - 1941年昭和16年)5月27日[2])は、日本政治家衆議院議員(2期)。

経歴

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奈良県出身[2]新庄村(現葛城市)長、北葛城郡会議員、同参事会員、奈良県会議員、同参事会員、大和鉄道国東鉄道各(株)専務取締役、南和電気鉄道、大阪タクシー自動車各(株)取締役、豊国自動車、大阪鉄道各(株)監査役となる[2]

1908年第10回衆議院議員総選挙において奈良県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選した[3]。つづく1912年第11回衆議院議員総選挙で再選[4]。衆議院議員を2期務め、1915年第12回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して落選した[5]大浦事件1916年に懲役2か月、執行猶予3年、追徴金1500円の判決を受けた[6]。これにより勲七等及び韓国併合記念章大礼記念章を褫奪された[7]。1941年に死去した。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第二十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1912年、25頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』637頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』50頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』54頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』58頁。
  6. ^ 雲梯会『高松事件之顛末(前衆議院書記官長林田亀太郎氏関係)』雲梯会、1916年、pp.385-386。
  7. ^ 官報 1918年06月06日 一五〇頁

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。