村井勝 (陸軍軍人)
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村井 勝 | |
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生誕 |
1883年12月24日 日本 山口県 |
死没 | 1968年10月23日(84歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1904年 - 1936年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
村井 勝(むらい まさる、1883年(明治16年)12月24日[1] - 1968年(昭和43年)10月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1883年(明治16年)に山口県で生まれた[1]。陸軍士官学校第15期[1]、陸軍砲工学校高等科第15期(優等)[2]、東京帝国大学機械工学科卒業[2]。1923年(大正12年)4月に陸軍造兵廠名古屋工廠千種機器製造所長に就任し[2]、1925年(大正14年)12月に陸軍砲兵大佐に進級した[2]。1928年(昭和3年)8月に陸軍造兵廠技術部長に転じ[2]、1930年(昭和5年)6月に陸軍技術本部仏国駐在官に就任した[2]。
1931年(昭和6年)8月1日に陸軍少将進級と同時に陸軍技術本部部員に就任し[1][2]、1932年(昭和7年)4月に陸軍砲工学校砲兵科長を経て[1]、1934年(昭和9年)8月に陸軍技術本部第3部長に就任した[1]。1935年(昭和10年)8月1日に陸軍中将進級と同時に陸軍造兵廠小倉工廠長に就任し[1][2]、1936年(昭和11年)8月1日に待命[1]、8月28日に予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。