村上義之助
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村上 義之助(むらかみ よしのすけ、1888年3月[1] - 1980年)は、大正から昭和にかけての日本の銀行家。
埼玉縣信用金庫初代理事長および会長、全国信用金庫連合会(現・信金中央金庫)会長を務めた。
来歴
[編集]埼玉県忍町(現・行田市)初代町長の村上多熊の次男として、忍町で生まれる[1]。
埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)を経て埼玉県師範学校(現・埼玉大学)を卒業した[1]。その後県下の3町村で小学校教員を務めたが、1915年(大正4年)に退職した[1]。1918年に忍町北谷信用組合を設立し、専務理事に就任する[1]。第一次世界大戦の好況期に創業したため、業績は順調で、預金量を増やした(1920年に「忍町信用組合」に改称)[1]。1932年(昭和7年)に忍町信用組合の組合長に就任した[1]。
1947年に忍町を含む県下の9信用組合によって埼玉県信用組合が設立されると組合長に就任し(組合としての事業開始は1948年)、埼玉縣信用金庫に改名した1951年10月からは理事長となる[1][2]。理事長は1970年まで務めた[1]。以後は、会長、名誉会長を歴任した[3]。全国信用金庫連合会の会長も務めた[3]。
この間、1958年(昭和33年)に行田市名誉市民に推挙された[1][3]。