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村上正雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

村上 正雄(むらかみ まさお、1898年4月5日 - 1943年1月23日)は、日本の新聞記者。東京都千代田区永田町出身。父・萬助(宮内省-内匠寮<たくみ寮>勤務、建築設計士)、母・せき、5人兄弟の長男。家族は、配偶者・志久、長女・眞呂、次女・しま

略歴

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慶大理財科卒業。大正15年、フランス留学ソルボンヌ大学にてフランス民族史専攻。昭和4年6月、読売新聞社入社。昭和13年、婦人部部長。昭和16年4月、読売新聞経営の静岡新報社取締役兼編集局長。12月、静岡新聞社専務取締役兼編集総務就任。昭和17年9月、読売新聞本社復帰、部長待遇。昭和18年1月、副理事(読売新聞本社在勤13年8ヶ月)。インドネシアのセラム新聞社長として赴任する折、昭和18年1月23日夜、敵潜水艦の攻撃を受け、スラウェシ州南岸サラヤル水道東方12km付近にて沈没、戦死。(44歳)

著作物

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  • ゴーリキ論 自筆製本1917
  • 科学知識 何でも聞きたがる子供への答 実業之日本社 1926
  • ピーターパン訳 春秋社 1927
  • 航海日誌1926年6月6日ー7月20日(横浜ー門司ー支那ーシンガポールーペナンーカイローパリ)
  • 巴里日誌(日記)1927年4月7日ー5月31日
  • 巴里日誌(日記)1927年6月1日ー8月24日
  • Paris(日記)1927年8月25日ー10月31日
  • Paris(日記)1927年11月1日ー12月31日
  • 巴里日記(日記)1928年1月1日ー3月21日
  • 巴里日記(日記)1928年3月22日ー6月17日
  • Paris(日記)1928年6月24日ー9月3日
  • 妻・志久への書簡(付:村上正雄パリスケッチ33枚)898枚 1926年ー1928年
  • 「こんな物が金になる」読売新聞社便利部編 八重洲書房 1936
  • 「商品読本」読売新聞社便利部編 力之日本社 1937
  • 静岡新報社連載コラム「富士颪(ふじおろし)」全287作品 1941-42
  • 昭和17年(1942)日記 静岡新報社勤務時代
  • 近衛師団司令部報導部黒田中尉への報告ノート
  • 他、日記(年代不明)、手記(年代不明)、記録メモ