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村上新九郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

村上 新九郎(むらかみ しんくろう、天保13年(1842年) - 1876年(明治9年)10月25日)は江戸時代後期(幕末)の肥後藩士。明治時代前期の熊本県庁第四課所属。最終階級は六等警部。

経歴

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肥後国熊本で生まれる。

性格は冷静、沈着だったといい、江戸期は時習館で学んだ。その後、時習館の代見となって武の道にも精進したという。

明治6年1873年)12月、白川県等外四等出仕に任ぜられ、明治8年(1875年)11月9日、熊本県六等警部に累進した。

明治9年1876年10月24日神風連の乱では弟・須崎休十郎の報せでいち早く敬神党の挙兵を察知し、一等警部・仁尾惟茂に報告して対策会議のために安岡良亮県令邸にむかった。そこで敬神党・吉村義節らの襲撃をうけたが、県令や参事・小関敬直らを護衛するため素手で奮戦し、愛敬正吉と格闘してその目をくりぬいた。しかしそこに駆けつけた他の敬神党員に斬られ、自宅へ逃れたが翌日に死亡した。享年34。

墓は熊本市室園墓地にある。

出典

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  • 「神風党の乱」-そのとき警察は-(非売品)[1]
  • 「熊本縣警察彰功録 第壹編」 明治35年
  • 「熊本縣殉職警察官彰功録」 昭和4年

脚注

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  1. ^ 国立国会図書館で閲覧可能