村上アヤメ
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村上 アヤメ(むらかみ アヤメ、1911年3月25日 - 2009年3月30日)は、日本初の女性バスガイド(当時は少女車掌と呼ばれていた)の一人である[1][2][3]。
来歴
[編集]現在の大分県玖珠郡玖珠町出身[2]。大分県立森高等女学校(大分県立森高等学校の前身)を卒業後、家族で別府市に転居し、17歳で亀の井自動車(現在の亀の井バス)に入社。5年間、バスガイドとして勤務した[2][3]。月給は3食付きで20円と、当時としては高給であった[4]。
女性バスガイドは、別府観光の祖と言われる油屋熊八が1928年に亀の井自動車を設立し地獄めぐり遊覧バスの運行を開始した際に考案したもので、七五調による観光案内が名物であった。七五調の案内文は、「不老暢人」のペンネームで文筆活動をしていた社員(後に専務)薬師寺知朧が、親交のあった菊池寛や久米正雄に修正してもらいながら完成させたものであった[5]。
一線を退いた後は後進の指導に当たった[1]。また、その後長らく七五調の観光案内を披露する等して別府観光のPRに貢献[1]。1998年7月に亀の井バスが七五調の案内を復活させた時にはバスガイドの指導もおこなった[2]。
顕彰
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c “日本初のバスガイド逝く 昭和初め、別府温泉PRに尽力”. 朝日新聞. (2009年3月31日). オリジナルの2009年4月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d e f “日本初のバスガイド 村上アヤメさん死去”. 大分合同新聞. (2009年4月1日). オリジナルの2009年4月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “「アヤメさんの昔話〜日本初の女性バスガイド・生前のインタビューより〜」”. JNN九州・沖縄ドキュメント ムーブ. RKB毎日放送. 2020年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月1日閲覧。
- ^ 編集部「毎年、宇和島へ墓参 : 油屋熊八翁を偲び」『別府史談』第17巻、別府史談会、2003年12月、77-88頁、CRID 1050001337653514368。
- ^ “定期観光バス”. 亀の井バス. 2020年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 別府市(編)『別府市誌』第1巻、別府市、2003年
- 『大分県人物・人材情報リスト2017』[要文献特定詳細情報]