李載佾
表示
李載佾 리재일 | |
---|---|
生年月日 | 1934年 |
出生地 | 日本統治下朝鮮平安南道平壌府 |
没年月日 | 2021年2月4日 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
称号 |
金日成勲章 金正日勲章 朝鮮民主主義人民共和国労力英雄 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2009年3月8日 - 2019年3月10日 |
最高指導者 |
金正日(1994年 - 2011年) 金正恩(2011年 - ) |
在任期間 | 2016年5月9日 - 2021年1月10日 |
朝鮮労働党委員長 | 金正恩(2016年 - 2021年) |
朝鮮労働党中央委員会委員候補 | |
在任期間 | 2010年9月28日 - 2016年5月9日 |
朝鮮労働党総書記 朝鮮労働党第一書記 |
金正日(1997年 - 2011年) 金正恩(2012年 - 2016年) |
朝鮮労働党宣伝煽動部第1副部長 | |
在任期間 | 2004年5月 - |
朝鮮労働党宣伝煽動部副部長 | |
在任期間 | 2003年 - 2004年5月 |
李載佾 | |
---|---|
各種表記 | |
チョソングル: | 리재일 |
漢字: | 李在一 |
発音: | リ・ジェイル |
英語表記: | Ri Jae-il |
李 載佾(李 在一[1]、リ・ジェイル、朝鮮語: 리재일、1934年 - 2021年2月4日)は、朝鮮民主主義人民共和国の政治家。朝鮮労働党宣伝煽動部第1副部長、朝鮮労働党中央委員会委員、朝鮮労働党宣伝扇動部元顧問。
経歴
[編集]1934年に日本統治下の平安南道平壌府で生まれた。平壌新聞副主筆を経て、2001年12月に出版指導局局長に任命され[2]、2002年10月7日に出版代表団を率いて中国を訪問した[3]。2003年に朝鮮労働党宣伝煽動部副部長に転じ[2]、2004年5月に宣伝煽動部第1副部長に昇進した[2]。以後、金正日総書記が朝鮮人民軍部隊や工場を現地指導した際に同行するようになる[4]。2009年3月8日に実施された最高人民会議第12期代議員選挙で代議員に選出され[5]、同年9月28日に開催された朝鮮労働党第3回党代表者会で朝鮮労働党中央委員会委員候補に選出された[6]。2011年12月17日に金正日総書記が死去した際には、国家葬儀委員会委員に選ばれた[7]。
2012年2月14日に金正日勲章を受賞した[8]。以後金正恩第一書記が執権してからも現地指導に随行したが[1]、2015年12月に失脚し、平壌の農場で「革命家教育」を受けていると報道された[1]。2016年5月9日に開催された朝鮮労働党第7次大会で朝鮮労働党中央委員会委員に選出された[9]。2017年6月2日に国際連合安全保障理事会で採択された決議2356で制裁対象に指定された[10]。
2021年2月4日、肺がんによる急性呼吸不全で死去。86歳没[11][12]。
脚注
[編集]- ^ a b c 金正恩、核心側近の呉日晶・李在一を失脚させる 中央日報 2015年12月9日
- ^ a b c 북, 당 선전선동부 제1부부장에 리재일 임명 統一ニュース 2004年5月19日
- ^ 北 대표단의 잇단 중국 방문 統一ニュース 2002年10月14日
- ^ 김정일 위원장 새로운 측근들 부상 統一ニュース 2005年6月9日
- ^ 북, 12기 최고인민회의 대의원 687명 발표(명단) 統一ニュース 2009年3月9日
- ^ 김정은 당군사위 부위원장 선출 統一ニュース 2010年9月29日
- ^ 北, 장의위원회 김정은 등 232명 구성 デイリーNK 2011年12月19日
- ^ 北, 김정일훈장, 김정일상 등 수여 統一ニュース 2012年2月14日
- ^ 北, 당 중앙위원 128명, 후보위원 106명 발표 ノーカットニュース 2016年5月10日
- ^ 안보리, 북 단체 4곳 개인 14명 추가 제재 統一ニュース 2017年6月3日
- ^ “北 김정은, 리재일 고문-최기혁 악장 영전에 조화(北 金正恩、李載佾元顧問死去を受けて霊前に弔花)”. ソウル平壌ニュース. (2021年2月6日) 2021年2月6日閲覧。
- ^ “리재일동지의 서거에 대한 부고(李載佾同志の逝去の訃報)”. 労働新聞. (2021年2月6日). オリジナルの2021年2月6日時点におけるアーカイブ。 2021年2月6日閲覧。