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李義駿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イ・イジュン

李 義駿
生誕 1738年
死没 1798年
職業 文臣
李徽中
徐宗玉の娘
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李 義駿
各種表記
ハングル 이의준
漢字 李義駿
発音: イ・イジュン
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李義駿(イ・イジュン、朝鮮語: 이의준1738年 - 1798年[1])は、李氏朝鮮時代文臣[1]本貫全州[1]鍾城府使大司諫黄海道観察使を歴任する[1]

人物

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は仲命、李澤曽孫で、祖父李顕良父親大司憲を歴任した李徽中母親徐宗玉の娘。副校理鍾城府使大司諫を歴任し、1798年黄海道観察使在職中に病死し、正祖から哀悼を受ける[1]

中国殷王朝政治家箕子朝鮮征服箕子朝鮮建国後に施行した土地制度である井田制に関連する諸家の研究(韓百謙の『箕田說』、柳根の『箕田圖說後語』、許箴の『箕田圖說說後』、李瀷の『箕田續說』)を李家煥とともに蒐集して『箕田考』を著し、箕子が施行した井田制の遺跡が平壌に残っていることを立証、箕子の業績を顕彰し、その威徳を讃える[2]

著書

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  • 『箕田考』

脚注

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  1. ^ a b c d e “이의준(李義駿)”. 韓国民族文化大百科事典. http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0045534 2022年6月28日閲覧。 
  2. ^ 簡江作韓國歷史與現代韓國台湾商務印書館中国語版、2005年8月1日、4頁。ISBN 9789570519891https://books.google.co.jp/books?id=yW9Lyom56T4C&pg=PA4=onepage&q&f=false#v=onepage&q&f=false