李瑾
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李 瑾(り きん、474年 - 538年)は、北魏から東魏にかけての官僚・軍人。字は伯瓊。本貫は趙郡柏人県。李元忠の従兄。
経歴
[編集]李悦祖(李霊の子の李恢の子)の子として生まれた。太和年間、奉朝請に任じられた。後に高邑伯の爵位を嗣いだ。広陽王元嘉の下で司徒集曹参軍、高陽王元雍の下で太尉長流参軍、清河王元懌の下で太尉記室参軍を歴任した。後に中堅将軍・歩兵校尉に任じられた。葛栄が河北で反乱を起こすと、李瑾は持節・兼吏部郎中・東北道弔慰大使に任じられて、冀州に向かった。葛栄の包囲を受けたため、防城都督となって防戦を指揮した。冀州の州城が陥落すると、李瑾は逃走して難を逃れた。528年(永安元年)、左将軍・太中大夫・殷州大中正の任を受けた。後に衛将軍・右光禄大夫・太尉諮議参軍に転じた。
534年(天平元年)、車騎将軍・大司農卿に任じられた。李瑾は学問を好んで、老いても倦まなかった。538年(元象元年)秋、死去した。享年は65。使持節・都督定瀛殷三州諸軍事・驃騎大将軍・司徒公・定州刺史の位を追贈された。